続 電電公社と国鉄

 2017.05.30 Tuesday 

おととい、「電電公社と国鉄」というタイトルでブログを書きました。

 

そうしたら、私の友人の澤田敬光さんが、こんな文章を彼のFACEBOOKに上げてくれました。

彼は通信の専門家ですので、専門家なりの考えが書かれています。

今夜は是非彼の意見をご一読ください。

(以下、彼のFBからの引用です。)

 

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いすみ鉄道の鳥塚社長が「鉄路は国民共有の財産なんだから皆に開放しろ」「NTTは他の事業者にも開放しているぞ」という、なかなか面白い概念をブログで投下されていますので、通信業界にいた私から詳しく補足しましょう。
まぁ、半分はウンチクだとあらかじめお断りしますが・・・

 

結論からいうこのお話は非常に的を得ているお話で、通信業界では「相互接続」という概念です。
と、同時に、長年「ラストワンマイル問題」と言われているお話です。

まず、「相互接続」というのはどういう概念なのか?
日本の通信業界は大きく分けると、NTTグループと、KDDIグループ、ソフトバンクグループ、それと電力系通信会社と呼ばれるグループがあります。
当然、各社熾烈な競争を行っているわけです。
しかし、かつて日本で電話会社というのは国内はNTTの前身の電電公社、国際電話はKDDIの前身のKDDの二社しか存在しませんでした。
当然、携帯電話(当時は自動車電話と呼ばれていた)も電電公社一社しかありませんでした。
その理由は通信というのは国民生活に極めて重要なものであるから、競争にさらされて倒産し、ある日突然電話が使えなくなると大変なことになるので、独占して事業を行いうという考えに基づいていました。
国鉄も同様の考えです。

そもそも、日本で通信サービスが始まったのも、明治元年に官営で行うという廟議(ビョウギ)決定し、明治2年に東京−横浜間でサービス開始したことにさかのぼるわけです。
その後、通信分野は逓信省(ていしんしょう)の管轄となり、昭和18年に逓信省と鉄道省を統合し、「運輸通信省」が設置されます。
その紆余曲折はありましたが、1952年(昭和27年)に日本電信電話公社(電電公社)として、スタート、1953年には国際電話部門を分離して国際電信電話株式会社(KDD)として、国内は電電公社、国際はKDDという体制で戦後の通信事業がスタートします。
このように、日本の通信ネットワークのの基礎はまさに国が税金で作ったものだったのです。
しかも、そのルーツを手繰っていくと、鉄道も通信も「運輸通信省」という同じ役所が管轄だったうえ、初めて開業したのも東京−横浜間であったり、開業した時期も明治初期という、鉄道と通信は非常に共通したところがあります。

 

さて、この二社体制はその後数十年続くわけですが、高度経済成長を経てバブルに突入する矢先、もはや戦後感は全くなくなり、日本は経済大国になりました、
そのような中で、今まで国が独占的にやっていた事業を自由化し競争させることで市場を活性化しようという動きが出てきます。
国鉄の民営化も、電電公社の民営化もその一つの話です。
その中で通信分野を1987年に民営化し誕生したのが、「日本電信電話株式会社」、英語表記「Nippon Telegraph and Telephone Corporation」の頭文字をとって「NTT」です。
同時に民間参入したのが、元々駅間の連絡や通信で独自の通信網を持っていた国鉄の通信部門が「日本テレコム」を設立、道路の維持管理用の独自の通信網を持っていた、建設省(現、国土交通省)・道路公団(現、ネクスコ)が「日本高速通信」、それと独自の網を持っていなかったものの無線で全国を結ぶ構想で京セラクループの「第二電電」三社が参入します。
(以下、NCCと呼びます)
ただ、当時民間開放されたのは「中継系」と呼ばれ都市間の区間です。

 

ここで、電話がつながる仕組みを説明しましょう。
あくまで、固定電話、家デンの場合です。
まず、受話器を上げてダイヤルをします。
その家の電話は電柱の電線を伝って、最寄りのNTTの局舎につながります。
そこからかける相手の最寄りのNTT局舎に接続されて、同様に相手の家の管轄のNTT局舎から相手の家まで電柱伝いに張り巡らされた電線を伝って、相手の家の電話が鳴るという仕組みです。

 

もう少し細かく説明すると、自分の家の最寄りのNTTと相手のNTTまではどうつながっているのでしょうか?
まず、同一市内を結ぶ中継ネットワークがあります。
次に、県と県を結ぶ幹線の中継ネットワークがあります。
当初の民間参入はこの県間中継サービスだったのです。
しかし、NCCが各県にネットワークセンターを作って都市と都市を結んでも、ネットワークセンターから各家庭、企業まで線がつながっていないと通信できません。
かといって、全国あまねく、山間部から、過疎地、離島まで、自前でネットワークを作るなんて到底無理です。
ちなみに第二電電が全国ネットワークを構築するのに要した費用は1000億円だそうです。
これ、三十年以上前での金額なので現在に換算すると数倍はかかっているでしょう。
都市間結ぶだけでこれだけ費用かかるのに、挙句全国津々浦々に電柱立てて電線張り巡らせるなんて到底無理です。
それでは、「通信自由化」といっても、誰も参入できません。
これがいわゆる通信業界でいう「ラストワンマイル問題」です。
つまり、中継系は自前で準備しても、最後の最後一つ一つのご家庭まで新規参入事業者がケーブル引っ張るなんて到底無理だよということです。

 

そこで登場したのが「相互接続」という概念です。
すなわち、他の電話会社と相互に接続しましょうという考え方です。
その結果、中継網はNCCが自前で準備しますが、最後の最後、ご家庭までのケーブルはNTTさん持ってるんだから貸したよということなんです。
例えば、札幌の家から東京の知人に電話を掛けるときに日本テレコムを使う場合、下記のような接続になります。

札幌の家→最寄りのNTT→日本テレコム札幌POI→日本テレコム東京POI→最寄りのNTT→東京の知人の家

これが、現在の光ファイバーではさらに進化した考えでサービスが提供されています。
それが「ダークファイバー」という考え方です。
ダークファイバーとは直訳すると「暗い繊維」という意味、光が通っていない光ファイバー、すなわち使っていない光ファイバーを意味します。
NTTはBフレッツなど光ファイバーの申し込みを受けるとオーダーの都度NTTの局舎から光ファイバーを引っ張ってくるのではなく、需要予想を立てて計画的に道路沿いにまとめて数十から数百という単位の光ファイバーをNTTの局舎から引いておいて、電柱上に接続ポイントを全国に作ってあります。
ちなみに、電柱の上の方に白とか黒の箱がぶら下っており、そこからケーブルが伸びていますが、それが「クロージャー」と呼ばれる、接続ポイントです。
その中には1本1本すべての光ファイバーに芯線番号が付与されていて、Bフレッツなどの申し込みがあれば、お宅からクロージャーまでの数十メートル程度を回線敷設して、そこに接続すればNTTの局舎の装置までつながるという仕組みになっています。
しかし、こちらもインターネット事業者などが各家庭まで光ファイバーを敷設するなど途方もない作業のため、「NTTさん、光ファイバー貸してよ」というわけです。

 

そこで登場したのが需要予想に基づき多めに光ファイバーを敷設しているので「空いてるなら安く貸してよ」というのがダークファイバーです。
(実際のところ都市部などでは需要が多く、「空いている」という状況がほとんどないため、NTTはダークファイバーを提供するためにあえて光ケーブルを敷設しています)

さらに、各家庭までは光ファイバーをNTTから借りても、信号をインターネットに乗せる伝送装置も必要ですから、その伝送装置の置き場も必要となります。
そこでNTTはライバル会社にNTTの局舎内に装置を設置するスペースを貸しています。
これを「コロケーションサービス」といいます。
それだけではなく、携帯電話事業者に鉄塔を貸したり、自前でケーブルを敷設したいという事業者には管路や電柱も貸し出しています。

 

ここにNTTの相互接続の案内があります。
https://www.ntt-east.co.jp/info-st/conguide/index-e.html

 

また、NTTはNTT法で「全国あまねくサービスを提供しなさい」と規定されているため、どんな山間部や離島、道のないような山の上ですら、「電話を引きたいんですけど」と申し込みがあれば、「断ってはいけない」ということが法律で定められています。
ただし、どう考えても利益にならないことをさせられており、特にNTT西日本地域は東日本に比べて人口密度も低いため、「NTT西日本が自前でなんとかしろ」というのもかわいそうなので、電話を持っている人たち、つまり番号が付与されている物を持っている人は、地方の維持費用を少し負担しなさいという制度があります。
これが「ユニバーサル料金制度」です。


電話というのは、発信側があっても着信側がないと成立しないデバイスなので、全国どこでもつながるようにする維持費は都市の人に出してもらうのも合理的だということです。

これだけではなく、通信事業にも「上下分離」というのがあります。
さすがのNTTとて、相当な過疎地の各家庭まで光ファイバーを敷設するというのは膨大な費用が掛かるため、どうしたって商売にならない地域で光ファイバーを提供してくれというのなら、自治体が光ファイバーを各家庭まで敷設してくれるのなら、それを借りてNTTはインターネットなどのサービスを提供しますよという「フレッツ・マイタウン」という方式もあります。
絵にかいたような上下分離方式です。
(※フレッツ・マイタウンはユニバーサル料金の話と矛盾しますが、ユニバーサル料金はすべての通信サービスに適用されるわけではなく、モシモシハイハイの音声電話など最低限のサービスに限定されています。フレッツは対象外なので、利益がどうしても出ないならNTTは提供を拒否できます。)

 

通信業界はいまここまで進んでいます。

以上長々と話しましたが、鳥塚さんが言っている話ってこれです。
そのベースというのはそもそも日本の通信ネットワークは国が作ったもので国民共有の財産だという考えです。
実際、NTTの相互接続のホームページにはこう書かれています。

「当社では、自由競争市場の更なる進展、情報流通市場発展のためには、他事業者様個々の努力による事業拡大はもとより、他事業者様相互間の協調関係によりネットワーク自体の価値を高めてゆくことが必要であると考えております。当社のネットワークと他事業者様との相互接続においては、これまでどおりにご利用いただけることはもとより、これまで以上に他事業者様向けに使い勝手の良いネットワークソースの提供に努めていきたいと思っております。本冊子をご活用のうえ、当社のネットワークの積極的なご利用をお願いいたします。」

これを平たく言うと、「お互いいがみ合って足引っ張りあうより、お互い手を取り合ってネットワークの価値を高めることにより、よりネットワーク市場全体が拡大した方が国民生活も豊かになるし、みんな儲かるよね、だからライバル会社さんもどんどんNTT使ってね」と、いうことです。

 

そう考えると、鉄道も同じような仕組みがあってもいいわけです。
つまりJRも、自前で車両だけ持って運行したいという事業者がいれば、線路だけ貸すという考えがあってもいいのではないかということでしょう。
実際NTTだってこれだけライバル会社にオープンにしているわけですが、30年以上前は他社に回線や設備を貸すなんて考えられないような時代もあったわけです。
東京電力系の電話会社で東京通信ネットワーク(TTNet、のちにはKDDIと合併)の当時の社長は「NTT行動論」というのを掲げていて、「NTTのネットワークはそもそも官営で作った国道見たいものなんだから、みんなに開放しろ」と言っていたわけです。
鳥塚さんが言っていることは、実は通信業界では30年以上前に起きていた話です。

「オープンレール」などと言う概念は今の日本で聞くと奇想天外に聞こえますが、30年くらいすると当たり前になり、JRも「ぜひ皆さん、JRに乗り入れてください」という時代が来て、いすみのキハが新宿発の時代が来るかもしれません。
通信業界では「そんな馬鹿な」と思われていたことも、今では日常になっているのです。

 

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(引用ここまで。)

 

ということで、JRだってまだまだいろんな可能性があるというのに、それをどんどん潰して行くようにしか思えないのです。

その理由は、今いる人たちが、今の会社の考え方ですべてを解決しようとしているからです。

 

だって、今のJRの中堅幹部職員の皆様方って、会社発足したときには中学生だったんですよ。

国鉄からJRになった時に中学生だった人間が、今のJRをああしよう、こうしようと考えている。

30年というのは、そういうことなのです。

15歳だった人が45歳になっているのですから、30代の社員な何もわかっていないのです。

 

ここらでひとつ、基本をしっかり教育する必要があるということなのです。

それも、手前味噌の社内教育ではなくて、社外の人間が、「君たちの会社は、こういうお約束で発足したんだぞ。」ということを、声を大にして言って行かなければ、あと10年もしたら、すべてはなかったことになってしまうのですから。

 

 

たこ飯弁当 販売休止のお知らせ

 2017.05.29 Monday 

 

 

 

昨日の朝、日本テレビのシューイチで放送していただきました。

いすみ鉄道国吉駅でカケス団長が立ち売り販売している「たこ飯弁当」ですが、6月から9月まで販売を休止します。

国吉駅は屋外販売のため、この時期は毎年販売しておりませんが、今年もたこ飯弁当の販売は昨日でいったん終了し、10月まで休止となります。

 

夏季期間中はポップコーン、かき氷、ソフトクリームなどの販売を行います。

 

なお、駅での立ち売り販売は行いませんが、10個以上の場合はご予約にてお作りいたします。

2日前までに松屋旅館までご予約をお願いいたします。

 

0470−86−2011

 

電電公社と国鉄

 2017.05.28 Sunday 

電電公社は今のNTT。国鉄はJRですね。

どちらも最初は国営でした。

国営から公共企業体になって最後に民営化されたのですが、1980年代以降、国際的に見ても民営化は時代の流れで、ではどうして民営化されたかと言えば、国営の場合は業務改善が進まず、いつまでも効率の悪い状態が続きますから、当然のように赤字になって、何とかしなければならなくなったのが、特に国鉄の場合はそうだったわけで、そこに過激な労働運動が加味されましたから、簡単に言うと国としては縁を切りたかったのです。

だから一番最初に国鉄がやり玉に挙げられたわけですが、でも、国が発展してインフラというものがある程度完成してくると、いつまでも国がやっているのはどうなんでしょうかという意見が出てくるのも当然で、その後に続いて電電公社が民営化されましたし、専売公社も道路公団も空港公団も民営化されました。

もともと国民の財産であった各種のインフラを、民間会社として誕生した新しい会社が引き受けて、国がやっているよりもさらに良質なサービスを提供することで、国民の生活の利便性を向上しようという企業目的のもとで、今それぞれの会社ががんばっているわけですが、本来の意味でのインフラって何だろうかと私はこのところよく考えるのです。

 

日本とロシアの関係が改善されて、経済交流が活発になる気配が見えてきていますが、サハリンから北海道へ海底トンネルを建設しようという話があるようです。そうなれば北海道が物流の一大拠点になる可能性があるわけで、今の「さいはて」が「入口」になるのですから経済的にも大きな効果が期待できます。期待できるというよりも、全く違った形で発展することは明らかだと思います。

では、海底トンネルが開通してロシアから貨物列車が稚内に到着したとして、現状を考えるとその時に宗谷本線が残っているかどうかが甚だ疑問です。なぜならJR北海道は赤字を理由に線路の維持管理をやめたがっているからで、だとしたらインフラって何なのだろうか?と思うのです。

北海道の鉄道は先人たちが大変な苦労をして開通させたものです。それを民間会社とはいえ、民間とは全く意識が異なる無能な経営者が、自分の会社が赤字だというだけで、あくまでも国民の財産であるインフラを勝手に捨ててしまうということが起きるのは、国鉄を民営化したときの目的とは大きくかけ離れてきているのではないでしょうか。

 

これに対して電電公社の人たちは、「通信」というのがなんであるかということを実によく理解していると私は感じています。

その証拠は、国民の財産であるインフラというものを広く社会に開放しているからです。自分の競争相手である他の企業に、インフラである回線を開放して、今やいろいろな事業者が共通に利用している。その結果としてこれだけ携帯電話が普及し、インターネットが普及して、実に活発になっているのです。

国鉄は自分たちの線路は自分たちのものだと、他の企業に開放することをやっていません。それでうまく行っているのなら良いですけど、うまく行っていないところもあるわけで、そういうところでは何と言っているかというと、「皆さんが利用しないから赤字です。」と平気で言っている。そして、「もうできませんから、やめます。廃止します。」となるのですから、私はそういう経営は無責任であり無能だと思うのです。

 

若い人たちは知らないでしょうが、国鉄時代の時刻表を見ると新幹線に食堂車が連結されていたのがわかります。

その食堂車の表示をよく見ると、帝国ホテル列車食堂、都ホテル食堂、日本食堂、聚楽など数社が書かれています。

これは何かというと、新幹線の食堂車を国鉄がホテルやレストランへ開放して、それぞれの民間事業者が食堂車を運営していたのです。そうすることで列車食堂というものが切磋琢磨していった時期があったのです。

民営化後は自分たちの関連事業者のみに営業させますから当然切磋琢磨されない。だからだんだん客離れが起きて行き、最後は座席にした方が儲かるからということで食堂車を廃止してしまいました。

こういうことの繰り返しで、客離れが起きて、誰も乗らなくなるわけですが、そうなると「皆さんが利用しないから廃止します。」と平気でいうのですから、この点においてははっきり言って国鉄時代よりも無能なのです。

 

私は、電電公社が自分たちの回線を他の事業者に開放しているのと同じように、国鉄の線路の上をいろんな会社の特急列車や寝台列車が走ってしかるべきだと考えています。

JTBや日本旅行が車両を所有して、オリジナルの列車を走らせる。それが時刻表に表示されて、利用者が選択できるようになる。そうなれば自然と切磋琢磨されるわけで、活性化するのです。

廃止にする前に、まずそういうことをやってみる必要があるのではないでしょうか。

 

これが私が考える上下分離であって、だから地元の行政が下部を負担するのではなくて、電電公社が回線の維持管理をやるように、JRが下の部分の線路の維持管理をしっかりやって、上の部分、つまり、走る列車をいろいろな事業者がそれぞれ特徴がある列車を走らせることをやれば、JR北海道の問題などいとも簡単に解決すると考えているのです。

 

まあ、その時、今の経営陣や現場の職員の雇用が維持されるかどうかはわかりませんけどね。

だって、そのぐらいの緊張感を持って働いていただかなければなりませんから。

給料だけたっぷりもらって、できるだけ楽をしようとか、余計なことはやらないなどという考え方は、民間会社では通用しないのですから。

 

▲時刻表の矢印のところに食堂車、ビュッフェを営業するレストランが書かれていました。

BT:ビュッフェ東京、日食:日本食堂、都:都ホテル、帝国:帝国ホテルです。

▲時刻表のピンクのページです。

▲ビュフェとうきょう、都ホテル列車食堂のメニューと値段

▲日本食堂、帝国ホテル列車食堂はこんな感じです。

1985年の時刻表ですが、今から30年も前に都ホテルや帝国ホテル列車食堂のビーフステーキが3500円もしていたのがわかります。

そう考えると国鉄関連会社の日本食堂は庶民的というか、手を抜いているというか。

それでも2000円と1600円ですからね。

私はカレーライスしか注文できませんでした。

確か800円ぐらいだったかな。それでも街中の倍以上でしたからかなり奮発した記憶があります。

3500円の昼飯なんて、今でも食べられませんけどね。(汗)

▲開業間もない上越新幹線。

こちらはビュッフェ(スタンド式の簡易食堂車)ですのでこの価格。

日本食堂と聚楽が担当していました。

 

このように国鉄時代末期はサービス改善にそれなりのことをやっていたのが理解できます。

利用する側も時刻表とメニューを見ながら、どの列車に乗ろうかと考えることが楽しみだったのです。

 

東京ー大阪間の新幹線を全日空がオリジナル車両を走らせて、航空機をJRが飛ばすぐらいのことをやらなければ、切磋琢磨しないし活性化などないのです。

 

 

あくまでも持論ですから、気に食わない方は単にスルーしていただければ結構です。

いちいちクレームレターもらってもお返事などいたしませぬ。

 

 

※機関車大好きと旅行の歴史の続きは後日掲載します。

旅行の歴史 2

 2017.05.27 Saturday 

サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド。

 

いきなりカタカナの羅列で恐縮ですが、50代以上の人ならわかりますよね。

今朝のニュースでやっていましたが、このビートルズのアルバムが発売されてから今日で50周年だそうです。

50年前といえば昭和42年。私が小学校に入学した年ですが、その頃いったい日本人はどんな暮らしをしていたのかというと、戦後20年が経過して徐々に人々の暮らし向きがよくなり、生活に余裕が出て来た時代でした。

そうなると、どこかへ行きたいという欲求が高まってくるわけで、かといって海外旅行など現実的ではありません。何しろ日本人が海外旅行へ自由に行かれるようになったのはその数年前の昭和39年で、それまでは日本人は業務出張等で出かける以外は海外渡航はできない時代でした。渡航自由化となってもパスポートを取るためには銀行へ行って預金残高証明書をもらってこなければなりませんし、1ドル360円の時代で、外貨持ち出し制限も厳しかたですから、海外旅行などは選択肢に入っていません。

そうなるとどこへ行きたいかと言えば当然近場の観光地で、年に1度か2度、家族で1泊旅行ができれば、「幸せな家庭」だったのです。

 

では、どういうところへ一泊旅行へ行くかと言えば、東京の人だったら伊豆、箱根、日光、伊香保、そして房総といったところでしょうか。昭和30年代に国民の健康増進のためにはレクリエーションが必要だということで法律が整備されて、全国各地に安価で宿泊できる国民宿舎というものが登場しましたから、皆さんこぞってそういう施設に宿泊したのです。

あとは、企業などが所有する保養所などというのも各地にあって、特に公務員の人たちは優先的に泊まれる行政の保養所などというのもありましたから、お父さんが大企業に勤めていたり、国家公務員だったりすると、みんなにうらやましがられたものです。

私は勝浦におばあちゃんの家がありましたので、毎年夏休みになると両国から汽車に乗って勝浦へ行きましたが、クラスの友達からは「いいわねえ、海の近くに親戚がいて」などと羨ましがられました。その頃の房総半島はとにかく汽車が混んでいて、夏休みになると特別なダイヤが設定されて臨時列車がたくさん運転されていましたし、海水浴場も大賑わいで、朝一番で浜に行かないとパラソルを立てる場所も確保できないほどでした。

それは何も房総半島ばかりじゃなくて、東京というところはもともと田舎者の集まりですから、クラスの中には群馬や福島、秋田や静岡など、お父さんやお母さんの出身地の田舎へ出かける人たちがいて、私は千葉でしたので、遠くへ行かれる友達がうらやましく思ったものでした。

 

さて、そういうところへレジャーに行っていた人たちはどういうところへ泊っていたかといえば、千葉の場合はたいていは民宿で、つまり、田舎の人たちが自分たちが寝ているところをお客様に提供して、自分たちは納屋や物置で寝るなんて状態でした。今の民泊とはまったくレベルが違っていて、まあ、畳の部屋に家族で寝るわけですが、ふすまで仕切られていればよい方で、中には大広間のようなところに知らない人同士が、それぞれ四隅に家族ごとに集まって布団を敷いて寝るなんてのは当たり前で、個室なんてのはありませんでした。

国民宿舎はほとんどが鉄筋コンクリート造りでしたから民宿に比べればはるかに見た目は良かったのですが、それでも部屋は10畳程度の個室で、トイレは廊下の突き当たりに共同で設置してあって、風呂は大浴場。食事は決まった時間に食堂へ行くと、部屋番号が書かれた紙が置いてあって、他のお客さんと一緒に食べるスタイルでした。

それでも、当時の都会では4畳半や6畳一間の木造アパートに家族全員で暮らしているなんてのは当たり前でしたから、鉄筋コンクリートの建物で10畳の部屋、食堂でテーブルに椅子でご飯を食べると、「おお、我が屋とは違うなあ。」と思ったものでした。

つまり、これは非日常感の体験であって、日常から脱出することがレクリエーションであり、健康増進には必要だったということなのです。

 

その意味では、今の旅行も基本的には非日常体験ですから同じなんですが、では、非日常体験というのは何なのでしょうかと考えた場合、特に日本がまだ発展する途中にあった50年前では、日常生活が貧しい時代でしたから、より上質なものを求めることが非日常体験の目的でした。だから木造アパートに住んでいた人たちにしたら鉄筋コンクリートの国民宿舎で満足しましたし、クーラーなどない時代でしたから、海水浴へ行って海に入ることで涼しい思いもできたのです。

 

そういう時代は良かったのですが、日本が経済成長の波に乗って国民の生活レベルが向上してくると、例えば6畳一間に家族で暮らしていた人たちが郊外に夢のマイホームを持ったりマンション生活になって行きました。すると、非日常を体験するために旅行へ行くのに、国民宿舎の10畳一間の部屋では物足りなくなります。まして民宿で知らない人と同じ部屋で雑魚寝などというのは受け入れられません。これが昭和40年代後半で、そのころを境に急に房総半島にはお客様が来なくなったのです。

でも、同じ東京から1泊の地域で、伊豆半島は早くから近代的なホテルができ始めましたので、昭和50年代半ばごろまでは、伊豆半島の海岸は海水浴客がまだ多く集まっていました。

その理由は、房総半島には温泉が出ませんでしたが、伊豆半島には温泉が至る所で出たということが大きいと思いますが、実はそれだけではなくて、伊豆半島に比べると房総半島は山がなだらかで平野も多いですから、漁業だけでなく農業も酪農も盛んです。これに対して伊豆半島は山が急峻で平野が少ないですから作物がなかなか収穫できない。だから、観光客で生計を立てて行かなければならないという切迫感がありましたが、房総半島は米も野菜も魚も肉も取れる豊かな土地でしたから、特に観光に頼らなくても生活できたことがあります。この部分が大きな分かれ道になりましたから、伊豆半島の人たちは設備投資をして近代的なホテルが立ち並んで、つまり都会人の生活様式の変化に伴うニーズの変化に対応できたのに対し、房総半島では「観光なんか遊びだろう。」という考えが蔓延していましたから観光を産業としてきちんと設備投資をしてこなかったわけで、日本人の生活向上に合わせることができませんでしたから、民宿などという片手間の観光業は急速に衰退していったのです。

 

▲電化直後の上総興津。

電化と共に急行列車も冷房車が走りはじめ、子供ながらに「ずいぶん近代的になったなあ。」と思いました。

 

 

房総東線(外房線)が電化されたのが昭和47年7月ですが、歴史を振り返ってみると、不幸なことに国鉄が多額の設備投資をして電化が完成し、これからもっと輸送力を増強できるとなった時を同じくして、房総半島の海岸から海水浴客が急激に消えて行ったのです。

 

(つづく)

 

 

旅行の歴史

 2017.05.26 Friday 

近年、急速に旅行の形態が変わってきていると言われています。

 

20年ぐらい前だったら、テレビや雑誌で行きたいところが見つかると、町の旅行会社や駅の旅行センターへ行ってパンフレットをもらってきます。いくつものプランが載っているパンフレットを詳細に読み込んで、どれが一番お値打ちコースか、あるいは自分の行きたいところややりたいことを網羅しているプランはどれか、いろいろ検討します。実際に、この、「パンフレットをもらってきて家に帰って詳細に検討する」ところから旅行はすでに始まっていて、ワクワクしたものでした。

行きや帰りに特急列車や飛行機に乗るコースがある時なども、その旅行会社で指定席券や航空券を発行してもらって、その券面を見ながら出発まであと何日と、指折り数えて楽しみに待ったものです。

 

ところが、今の時代は、あまりそういう旅行をする人がいなくなったと言われています。

いなくなったのではなくて、若い人たちはそういう旅行をしなくなったという方が合っているかもしれません。

20年前30年前にパンフレットを見て旅行をしていた人たちというのは、たぶん、今でもいるはずで、ただし、その世代の人たちはみなさん50代以上になっているのではないでしょうか。だからだんだんと少数派になってきている。徐々にですが、世の中の人間が入れ替わって来ていて、昔ながらの旅行をしている人たちは今でもいるのですが、年齢が上がっていて、そういう人たち向けの商品は、たぶん今でも旅行会社の店頭にパンフレットとして並んでいるのでしょう。お料理の有名な高級旅館や露天ぶろ付きのお部屋に泊まったり、ビジネスクラスで出かけるクルーズ船の旅などというものもそうですし、昨今話題の豪華列車の旅などというのも、リッチなシニアの皆様方をターゲットにしているのだと思います。

 

でも、そういうリッチなシニアではなくて、現役世代というのはできるだけお金をセーブしようと考えている人たちが多いですから、限られた予算や時間の中でできるだけ自分たちの目的に合った旅行をしようと考えると、どうしてもインターネットを利用する傾向にあります。いちいち旅行会社の店頭でパンフレットを見ながらツアーを検討したりしないし、新幹線だって飛行機だってみんなネットで予約してしまいます。ネットなら座席指定まで自分でできますからね。だから、これだけ飛行機が一般化しているというのに、その割には店頭のカウンターで航空券を買っている若い人など見たことがありません。

皆さんそうやって、自分で調べて自分でサッサと予約して、自分の旅を楽しむ時代になりました。

 

それともう一つ、旅行のスタイルが変化してきたのも見逃せません。それは何かというと、「行きたいところ」というのが昔ならば有名観光地が多かったのですが、今では別に有名観光地に行く必要もなく、行ってみたいところというのが、旅行のガイドブックに出ているところではなくて、インターネットで有名なところになったのです。

 

例えばブロガーとかインスタグラマーなどと呼ばれる人たちがいます。自分が出かけて良かったと思うところや、食べておいしかった食堂やメニューなどをインターネットで情報発信する。文字だけじゃなくて写真も一杯インターネットに乗せると、それを見た人たちが「うわあ、楽しそうだ。行ってみたい。」という気持ちになる。そしてそこが賑わうようになる。

皆様よく御存じの江ノ電の鎌倉高校前駅すぐ横の踏切などもその良い例で、アニメの舞台として登場したその踏切が、台湾や中国でそのアニメが人気になって、「ここはどこだ?」と話題になる。すると誰かが、実際にやってきて写真を撮る。

そして、「私はここにやってきました。」と撮った写真とメッセージをインターネットで発信する。

すると、その写真を見た人たちが、「いいね、行ってみよう。」となって、口コミで広がって行って、今では平日の夕方でも中国人が20人も30人も集まる観光名所になってしまったわけです。

 

 

江ノ電の鎌倉高校前。

私にとってこの駅は「寅さん」で有名な駅だと思うのですが、今はアニメの聖地。

平日の夕方だというのに、踏切には警備員が出ている状況です。

 

こういうことが良いとか悪いとかは別として、現実に起きているのですから無視することはできないと私は考えます。

日本人は、新しいことをなかなか受け入れる心の準備ができていない人が多数いますから、踏切に人が群がっているのを見ると「マナーがどうだ」とか言い出す似非マナー論者や「危険だから禁止させろ」的な意見が当然のように出てきますが、それではせっかくのビジネスチャンスが消えてしまいますから、どうしたら危険じゃなくなるかを考えた方が発展性があるわけで、実際に警備員を配置して安全管理をしているのを見ると、観光客を受け入れる準備ができている観光のプロフェッショナルが多い湘南の人たちの考え方がわかると思います。

 

LCCのピーチ航空が、単に航空券が安いというだけではなくて、行ってみたくなるような、つまり需要を開拓するということをきちんとやり始めていて、インスタグラムを活用した取り組みをやっています。

 

ピーチ上海ナビ ←ここをクリックしてください。

 

こういうのを見ると、別に上海なんて興味がないと思っていた若い人たちだって、「おもしろそう! 行ってみよう!」となるわけで、「ではいくらなんですか?」と思ったら、下の方に片道6000〜7000円って値段が出ている。

この値段だったら夜行バスでどこかへ出かけるのよりも安いから、「じゃあ、上海へ行ってみるか。」となるわけです。

そして、そういうお客様で180人乗りの飛行機が満席になればピーチ航空としてはそれで良いわけで、何も旅行会社に座席を売ってもらう必要などないのです。1機で400人も人を乗せていた時代ならば、座席を売りさばくために旅行会社とお付き合いしていたのですが、小さな飛行機を使うLCCのような会社ならできるわけですから、既存の航空会社や旅行産業にとって見たら脅威に映るのです。

 

いすみ鉄道でも私は就任以来インターネットをフル活用して、できるだけ写真を載せるようにして情報発信に努めているのは皆様ご存知の通りですが、その点では私もブロガーの1人ということができます。私のブログにはリンク先も含めて1日だいたい2万人のアクセスがありますから、いすみ鉄道ぐらいの規模の会社の情報発信としては十分だと思いますし、例えば週末20席のレストラン列車の情報を乗せれば、数日で座席が完売するのはLCCのピーチ航空と同じスタイルです。

その基本原則となるのは「更新頻度」ですから、私はとにかく社長としての重要な仕事として毎日更新に努力しているわけですが、こういうことって、正直申し上げて理解できない人にはいくら説明しても理解してもらえません。特に旅行会社の店頭でパンフレットに出ているツアーを申し込むタイプの人には、私がいくらインターネットで情報発信してると言っても、ほとんど理解できないと思います。でも、旅行会社の店頭でパンフレットを見ながら旅行の申し込みをする人たちというのは、今後確実に少数派になっていくことだけは間違いありませんから、旅行業界は今、大変な転換期に来ていると言われているのです。

 

逆に考えると、例えば、温泉旅館の経営者にしてみたら、今までは大手旅行会社に一生懸命お願いをしてパンフレットに自分の旅館を載せてもらって、お客様を送り込んでもらう必要がありましたが、もうそんなことをする必要はなくなりました。自分で写真を写して、自分でインターネットにアップして配信することで、自分の考え方やポリシーに共感していただけるお客様にいらしていただくことが可能になりましたから、そうなると仲介業者へ手数料を払う必要もなく、値段の勝負をする必要もなくなります。旅館の経営者の考えに共感していただけるファンに来ていただくことで、さらにその旅館のファンが増えて行くという仕組みです。

ローカル線の駅から数分のところにある、それこそ寅さんに出てくるような昭和の商人宿が、情報発信だけで「ご主人に会って話がしたい。」とか、「一緒に駅弁を売ってみたい。」というお客様で週末は満室になるなんてことは、今や当たり前の時代です。別に大手旅行会社のパンフレットに載せてもらって、お客様をご紹介いただかなくたって全然気にすることはありません。つまり、どんなところにもチャンスがあって、それを上手に活かせれば、小さなビジネスであれば十分に成り立つ世の中になったのです。

 

こういう世の中になると、大手になればなるほど実は不利になっていて、なぜならば細かな対応ができないばかりでなく、身動きが遅い。ブロガーやインスタグラマーが話題にしている地域をリアルタイムで探すことができないし、探せたとしてもそれを商品化してパンフレットを印刷して、告知して募集するまでに何か月もかかるわけですから、その時にはもう別の話題になっている。そう考えると、これは大変厳しい時代になったと言えるのであります。

 

(つづく)

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