新しいブログへ移行いたします。

 2018.07.01 Sunday 

2018年7月1日より、「いすみ鉄道前社長 鳥塚亮のブログ」がスタートしています。

 

http://train.isumirail.com/

 

こちらのブログの更新は終了しております。

 

新しいブログのURLに変えてお楽しみください。

 

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

鳥塚 亮

 

明るい未来へ向かって

 2018.06.12 Tuesday 

本日、いすみ鉄道株主総会が開催されました。

 

その席上で、新しい取締役が承認されました。

その中には私の名前はありません。

ということで、本日を持ちまして、いすみ鉄道社長職を退任させていただきました。

 

9年間の長きにわたり、ご支持いただきました皆様方に深く御礼を申し上げます。

ありがとうございました。

 

思い起こせば9年前、2009年の6月に社長に就任してから、手探りでやってまいりましたが、おかげさまで本当に充実した期間を送ることができました。また、いすみ鉄道も本日まできちんと走ることができましたことも、当時を振り返ると奇跡のような出来事だと思いますが、やはり地域の皆様方と、関係各所の方々のご尽力あってのことですので、本当にありがたいことだったと感謝いたしております。

 

ローカル線問題というのは、かれこれ50年近くこの国の課題としてやってきて、今でもくすぶっていて未解決の国家的課題でありますが、私は、鉄道というものは郷土愛を育むツールとしては実に有効なものであると考えてこの人生を過ごしてきました。

ローカル線が走る景色は素晴らしいですし、ローカル線が走ると、単なる田んぼの景色が、単なる田んぼじゃなくなるんです。そういう郷土愛を育むシーンを、一人でも多くの皆様方にご理解いただけるようになれば、ローカル線を通じて郷土愛がはぐくまれ、つまり、この、日本という国の四季折々の素晴らしい風景や、そこに住む人々の暮らしにもっとスポットライトを当てることができますし、そうすれば、日本の田舎はもっともっと元気になれる。私は今でもそう信じております。

 

1973年(昭和48年)4月 木原線 上総中野駅

 

 

東京生まれで東京育ちの私は、中学1年生の時に初めていすみ鉄道(旧国鉄木原線)に乗りました。

当時でも東京には田んぼなどありませんでしたから、のんびりと走るディーゼルカーの窓を開けて、田を渡る風の心地よさを感じたことを今でもはっきりと覚えています。田舎の良さに初めて気づいたのが、いすみ鉄道沿線でした。

 

だから、私にはこの鉄道はなくなってほしくなかったんです。

航空会社の要職を棒に振ってでも、何とか残したい鉄道でした。

 

地域の足としての役割は終わったかもしれないけれど、もっと別の使い方があるはずだと、奮闘してきたのがこの9年間です。

なぜなら、「役割が終わったから、もう要りません。」というような話をするならば、今の時代は、山の中の城下町だって、太平洋の漁港の町だって、都会の人たちから見ればすでに役割を終わっているのですから、無くなっても誰も困らないと言われてしまうから、私は、もっと工夫して、生き残る道を考えるべきだと思っていたからです。

 

今、いすみ鉄道はたくさんの子供たちでにぎわうようになりました。

 

 

親子でこういうところへ来て、都会の子供たちが、お母さんが作ったおにぎりやサンドイッチを食べたらどうでしょうか。

「お母さん、楽しかったね。」という思い出ができるでしょう。

その子が大きくなったとき、きっと覚えてくれているはずです。

その子の思い出が、いすみ鉄道の思い出で、房総半島の思い出で、千葉県の思い出になるんです。

 

毎年やっている親子稲刈り体験。

都会からやってきた子供たちが、お母さん、お父さんと稲刈りを体験する。

きっと、この子供たちの原風景になってくれるでしょう。

 

東京から近いから、鉄道好きな子供たちだったら、このぐらいの年齢になれば子供同士で来れますよね。

考えてみたら、40数年前の私がここにいるのです。

 

そうして、こういう子どもたちが、「ローカル線って良いところだよね。」「田舎って良いところだよね。」という思い出を持って大人になっていく。こういう子どもたちを一人でも多く20年後、30年後のこの国の将来へ送り込むんです。

そうすれば、ローカル線も、田舎の景色も次の世代につながっていくと私は確信しています。

 

今の日本は、田舎には基幹産業がありません。

お金を稼ぐすべがないにもかかわらず、田舎の人たちが生活のために使うお金は、みな都会の会社に吸い取られるようにできています。

車を買って、保険に入って、ガソリンを入れて、コンビニへ行って、ファミレスに行って・・・

そういうところで使ったお金は、みんな都会の会社が儲かるようになっています。

田舎の家の子供が都会の大学へ行く。私立大学で下宿をさせたとしたら、1年間で200万円。4年間で800万円のお金が、田舎から都会へ行ってしまうのが世の中の現実です。

だから、私は、田舎というのは、都会のお金をどんどん持ってくるべきだと考えています。

ローカル線だって同じです。

東京で儲かった人たちのお金を、どういう形で田舎に持ってくるか。

これが今の時代は問われています。

つまり、田舎というのは、都会の人たちに喜んでもらえる仕組みづくりをしなければならないのです。

そして、喜んでいただいて、お金を使っていただくことが求められているのです。

 

そういう、都会の人たちに評価される仕組みづくりを行わないと、これからの世の中は、田舎にはお金が入ってこなくなります。

これが地方創生です。

好むと好まざるとにかかわらず、そういう時代がやってくるのです。

そんな時、ローカル線があれば、都会の人たちに振り向いてもらいやすい。

テレビも来るし雑誌にも書いてもらえるし、ローカル線は広告塔になりますから、ローカル線のないところに比べると、実に有利なんですね。

そして、そのローカル線は、地域の皆さんが、汗水たらして、あるいは血も流して守ってきたのですから、これからの時代は、ローカル線が地域に恩恵をもたらす。そういう時代になると私は確信しています。日本全国の皆様方が、いすみ鉄道の取り組みを見てそうお気づきになっていると思います。

 

そう思っているのであれば、あとは実行しなければ明るい未来はやってきません。

 

日本全国の田舎の皆様、ぜひ頑張ってください。

ご希望があれば、喜んでお手伝いさせていただきます。

 

明るい日本の未来へ向かって。一緒にがんばりましょう。

 

ただし、儲けようと思ったらだめですよ。

田舎の人間の目先の利益を追いかける姑息な商売など、都会の人間にはすぐに見破られてしまいますから。

儲けは後からついてきます。

そして、地域全体でトータルで儲かればよいのですから。

それがインフラとしての鉄道なのです。

昔の人が教えてくれるそういう基本原則も理解できないような人たちの地域には、残念ながら明るい未来はありません。

これもまた現実ですからね。

同じ頑張るにしても、方法を吟味して、できるだけ効率的にがんばるのがこれから求められることなのです。

 

お金のないいすみ鉄道でもできたのですからね。

 

 

本日で「いすみ鉄道社長ブログ」は終了いたします。

 

9年間の長きにわたりご支持いただきましてありがとうございました。

 

このブログは、6月下旬ごろまで表示いたしますが、その後はいすみ鉄道ホームページからは削除いたします。

どうぞご了承ください。

 

どこかで私のことを見かけたら、お気軽にお声をおかけくださいね。

また、きっと、お会いできますよ。

なぜなら、世の中、そういうものですからね。

 

チャレンジすることは、素晴らしいことなのです。

 

ローカル線と日本の明るい未来を作って行きましょう。

 

今後ともいすみ鉄道を、特に頑張って働いてくれているいすみ鉄道のスタッフを、どうぞよろしくお願いいたします。

長い間ありがとうございました。

 

 

I will be seeing you.

So long.

 

 

【業務連絡】

・私への取材のお申込み等に関しましては、当面の間いすみ鉄道までご連絡ください。

メールアドレスはこちらです。 mail@isumirail.co.jp

・お手紙、郵便等に関しましてはお受け取りいたしかねますのでご了承ください。

・私個人へのメッセージはFacebookにて対応いたしますが、業務に関する連絡以外にはお返事をお出しすることができない場合がございます。

・本来でしたら、お世話になりました皆様方へそれぞれご挨拶するべきところでございますが、こちらにてご挨拶と代えさせていただきます。ありがとうございました。

・木更津の大川さん、例の件は進めておりますので、国吉のカケス団長までご連絡をお願いいたします。

 

引き続き、Facebookで近況報告をさせていただく予定です。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

Love & Peace forever .

 

 

 

公募社長総括 ≪最終回≫ ここには「なにもない」があります。

 2018.06.11 Monday 

ここには「なにもない」があります。

 

ちょっと禅問答のようなキャッチコピーですね。

英語で言うと "We don't have any specials here." ということになるでしょうか。

 

観光のポスターに「なにもない」などと使うことは前代未聞だったかもしれません。

なにしろ、観光ポスターというのは、集客のために作るわけですから、「なにもない」などと言うとお客様には来ていただけないというのが、観光業界の常識でしょう。

 

 

では、なぜ私がこんなポスターを作ったか。

それは、うちの職員や地域の人たちに、自分の会社や沿線地域が、実は素晴らしいものだと考えてもらいたかったからです。

 

都会から来た観光客に、「せっかく来たのに、何もないじゃないか。」とクレームを付けられて、「すみません。」と頭を下げている応援団の人たちの姿を見たり、またあるときは「ムーミンがいるって聞いてきたんだけど、いないじゃないか?」と言う観光客がいたり、その度に応援団の人たちや、あるいはいすみ鉄道の職員が肩身が狭い思いをしなければならないようであれば、ただでさえ自分たちの地域や会社に自信が持てない人たちがどんどん萎縮していきます。そんな構造を許していたら、日本の田舎なんていつになっても元気になるはずはありません。

だから、私はこのポスターを作って、駅構内や列車の中に貼ったのです。

 

それでも、テレビとか見て、何かを期待してやってくる人の中に、田んぼの中の無人駅に失望して、「せっかく来たのに何もないじゃないか。」とクレームをつける人がいます。でも、このポスターさえ貼ってあれば、地元の人もうちの職員も謝る必要はありませんからね。

「せっかく来たのに何もないじゃないか。」と言われたら、

「そうなんですよお客さん、これがいすみ鉄道のポスターですから」って言ってニコニコしていればよいんですから。

 

だって、会社が「なにもない」って言ってるんですから。

 

でも、そうすると、やはり現代は口コミの時代ですから、悪いうわさほどパーッと広がります。

 

「いすみ鉄道なんて行ったって、面白くないぞ。だいたい、会社も地域住民も開き直っていやがって。」

てな感じでしょうか。

 

すると、ふつうに考えて9割の人は来なくなります。

これは旅行のマーケットで言ったら9割の人というのは有名な観光地に行く人たちですからね。

そういうことが旅行だと思っている人たちが全体の9割だと思いますが、今の時代は非日常体験ができれば旅行だという人たちが1割ぐらいいるものですから、その1割の人たちにとってみたら、「何もないんだって。なんか面白そうだね。」という話になります。ましてインスタ映えなどと言われる時代ですから、そういう人たちは、他の人たちが行かないようなところへ行ってみたいという性向があります。ガイドブックをトレースするのではなくて、自分だけの場所を探してみたい人たちです。

 

私たち千葉県は首都圏をマーケットにしています。

首都圏には3500万人の人口が言われていますから、10人中9人などどうでもよいと私は思います。

10人に一人、1割の人たちが、このポスターに「おっ、いいねえ。」と思ってくれるだけで350万人ですからね。

そして、さらにそのうちの10人に一人が1年に一度いすみ鉄道に本当にやってきてくれたら35万人ですよ。

ひと月あたり3万人が土日シーズンに集中することになります。

そんなときに、いすみ鉄道は1両か、せいぜい2両の列車が1時間に1本走っているだけですから、ひと月に3万人が土日に集中したら、それこそパンクしてしまいます。

つまり、自分の会社や地域のキャパを考えて商売をやりましょう、ということ。

これが私の観光地戦略です。

 

なぜなら、日本の田舎って、「いいところですから、みなさん来てください。」ってことを言いすぎるんです。

房総半島の沿線の観光ポスターを見ると、みんな海岸線や砂浜ばかりの時代がありました。

でも、それって一堂に並べてみると、どれもみな一緒で区別がつかないんです。

だから、集客ツールとしてのポスターの意味をなしていないのです。

そして、実際に行ってみると、今の時代はどこも大したことない。

それは、映像や動画でいくらでも情報が入ってくる時代ですから、残念ながら千葉県はどこへ行っても一般的な意味で観光地としての魅力に欠けるところが多いです。

 

ローカル線だってそうですよ。

今の季節はいすみ鉄道でも沿線にアジサイが咲いてますが、アジサイといえば箱根登山鉄道には逆立ちしてもかないません。

清流が流れていると言えばわたらせ渓谷鉄道にはかないませんし、蒸気機関車なら真岡鉄道で走っています。

海岸線を走ると言えば、そりゃあ江ノ電だし、富士山が見える路線なら富士急でしょう。

だから、都会の人たちに向かって、「いすみ鉄道は良いところですよ。」などと言っても通じないのです。

つまり、いすみ鉄道は都会の皆さんの選択肢に入らないようにするのが戦略。選択肢に入って選んでもらうような戦略だと、来ていただいたお客様から、「なんだ、大したことないね。」となってしまいますからね。

「せっかく来たのに何もないじゃないか。」というのは、こういうことなのです。

 

 

ほら、本当に何もないでしょう。

でもね、東京から1時間のところで、こういう景色が広がっていることは大きな価値があるんです。

そういうことがわかる人たちが、首都圏に100人に1人いれば、私はそれで十分だと思います。

 

 

 

田んぼの中を走る国鉄形ディーゼルカーは昭和の原風景。

こういう人たちは、この風景の価値がわかります。

そして、彼らは皆、都会から来ているんです。

 

▲菜の花の季節には田んぼの中が賑わいます。

でも、菜の花が咲いているから賑わっているわけではありません。

 

▲1月の同じ場所。枯れ野原の真冬だって、こんなにたくさんの人たちが来ています。

 

▲炎天下の夏だって、こんなにたくさんの人たちが来てくれています。

 

そして、彼らは異口同音に、「ここは良いところですねえ。」と言ってくれます。

それは、観光というのはファンビジネスですから、いすみ鉄道に来たくて、この場所に来たくて、遠くから来てくれているからなんです。

だから、ニコニコ笑いながら、「良いところですねえ。」と言ってくれる。

いつもいつもこの場所で、都会からやってきた人たちが、「良いところですねえ。」と言ってくれれば、地元の人たちだって、まんざらでもないと思います。

そういうことが、今、沿線各地で起こっているのです。

それまでは、「こんなところダメだよ。」と言っていた人たちが、「俺たちの町は良いところでしょう。」と思うようになれば、土地の力というのが徐々に強くなっていくと私は考えています。

 

そして、この場所というのは、もとはと言えば、このポスターの写真を撮った場所なのです。

 

 

いすみ鉄道は千葉県の房総半島です。

千葉県の房総半島に都会の人たちが何を期待するかといえば、そりゃあ真っ青な太平洋ですよ。

でも、うちは海岸線は走らないんです。内陸路線ですから。

富士山も見えません。

清流も流れていません。

蒸気機関車を走らせるお金もありません。

 

「じゃあ、ダメなんですか?」

 

私は違うと思います。なぜなら日本の田舎は、今持っているもので勝負しなければならないからです。

 

「そりゃあ、うちだって海岸線を走って富士山が見えれば江ノ電ぐらい人は来るんだけどね。」

 

そんなこと言ったってしょうがないでしょう。

ないんだから。

 

でも、いすみ鉄道が「何もない」というポスターを1枚作っただけで、田んぼの真ん中が季節を問わず観光地になるのであれば、日本の田舎はどこでも観光地になれるのではないでしょうか。どこにでもチャンスはあると思います。

ありがたいことに、今はそういう時代になったということなのです。

 

私は、日本の田舎には石ころなんて落ちていないと思っています。

落ちてるのはみな宝石の原石なんです。

だけど、磨き方がわからないんです。

 

でも、いすみ鉄道がポスター1枚で田んぼの真ん中が観光地になるのであれば、日本中どこだって、お金がなくても、やり方次第で、いくらでも人気のスポットになるはずです。

私がいすみ鉄道でやってきたことというのは、こういうことなんですね。

 

そして、それが、「ここにはお金が落ちています。」ということなのであります。

 

(おわり)

 

 

 

公募社長総括 10  ローカル線のブランド化

 2018.06.10 Sunday 

今からちょうど9年前の2009年6月にいすみ鉄道社長に就任した私は、沿線を見て回って「ここにはお金が落ちているなあ。」と思いました。

もちろん本物のお金が落ちているわけではなくて、お金というのはビジネスの種のことで、田舎の景色や線路にたくさん落ちているビジネスの種を、まず発見して、上手に育てれば、大きくなるだろうということです。

なぜなら、私はローカル線というのはブランド化に適していると考えていたからで、私が航空会社を辞めてまでいすみ鉄道の社長に就任したのは、ローカル線がブランド化できるということを実証してみたかったからなんです。

 

前にも申し上げましたが、ローカル線というのはいろいろな地域的条件がありますので、全部まとめてひと言で「ローカル線」と言えるものではありません。その地域的条件の一番大きなものは人口で、例えば吉田千秋社長さんが奮闘されていらっしゃる茨城県のひたちなか海浜鉄道は、ひたちなか市の人口が15万人、お隣の水戸市の人口は27万人ですから、いわゆる地域の足としての役割をきちんと追求していけばある程度の経営は成り立ちます。その証拠に、吉田社長さんの奮闘の甲斐あって、ひたちなか海浜鉄道は今、路線を延長するというローカル線としては画期的な計画が進んでいます。ところが、いすみ鉄道沿線はいすみ市と大多喜町を合わせても5万人いませんから、同じローカル線といっても、同じ方法では立ち行かないというのが地域的条件になるのです。

 

そこで私は、いすみ鉄道のような沿線人口が少なく、利用者増が見込めないローカル線でも、ブランド化できれば、別の意味でローカル線は存続していかれるのではないかと考えました。人口がいない地域にはローカル線は存続できないと定義づけることは、あまりにも短絡的で、昭和の国鉄末期から40年近くそのやり方でやってきて、その結果として地域までダメになって来ているのが現在の日本ですから、私は全く別の角度から考える必要があると思ったのです。


▲2009年7月1日。誰も乗らないいすみ鉄道。

「ここにはお金が落ちています。」という社長を、きっと皆さんバカだと思っていたのでしょうね。(笑)

 

では、その、まったく別の角度とは何かというと、ローカル線の商品特性を追及するということです。

 

誰も乗らない=お客様がいない

列車本数が少ない=不便で利用しづらい

 

いままではこのように考えられてきていて、まるでデフレスパイラルのように抜け出せなくなっていたのですが、当時の私はローカル線の商品特性を次の3つに絞って考えました。

 

1:列車本数が少なく、編成両数も少ない。→→→ 商品供給量が少ない。

2:都会の人にとっては、わざわざ乗りに来なければならない。 →→→ 買回り品である。

3:今日の列車を明日売ることができない。 →→→ 供給の保存ができない。

 

具体的に説明します。

1は、例えば1時間に1本、1両の列車が走っているとすれば、座れる人数はせいぜい40人か50人です。航空会社に勤務していたときに「座席というのは商品である。」と教育を受けた私としては、ローカル線の列車の座席だって当然商品であると考えます。だから、1時間に1本、50人座れる列車が走っているということは、簡単に考えると1時間当たりの商品供給量が最大でも50個だということです。百貨店の地下で、焼き立てバームクーヘンに行列ができています。あれはなぜ行列ができるかというと、その場所で焼いている個数が限られているからです。1時間に50個しか焼けないバームクーヘンであれば、50番目のお客様は1時間待たなければならないということです。ローカル線というのもまったく同じで、座席を商品として考えるのであれば、商品供給力が少ないわけですから、これは都会の電車とは商品価値が大きく違うのです。

 

2は、商品というものは大きく2つに分けられて、1つは日用品、もう1つは買回り品になります。

日用品というのは皆さん毎日買われる生鮮食品や生活必需品です。人間の生活にはとても重要で、なくてはならないものです。

これに対して、買回り品というのは趣味のものであったり、耐久消費財など、何年かに一度購入するような商品です。日用品はできるだけ近場で購入する傾向があるのに対して、買回り品というのは、わざわざそこまで出かけて行って購入するという傾向があります。私の知り合いで、鉄道模型が趣味の人がいますが、わざわざ遠くまで出かけて行って、そのお店で買っています。つまり、そういうその人にとってプレミアム感がある商品が買回り品です。そして、ローカル線というのは、都会人にとっては隣近所では買えませんし、お取り寄せもできません。「わざわざ乗りに来なくてはならない。」という商品特性がありますから、これは買回り品なんですね。

 

3の供給の保存というのは、ちょっと難しい言い方になりますが、簡単に言えば在庫を持てないということです。たいていの商品は、売り上げを予測して、ある程度在庫を持って多客期に備えることができます。また、今日売れ残った商品でも、在庫として取っておいて、明日また販売することができるものも多くあります。ところが、ローカル線の座席を一つの商品として考えた場合、今日空席だった座席を、明日販売しましょうということはできません。つまり、売れ残りを在庫として持っておいて翌日販売することができないんです。これが供給の保存ができない商品であるということです。

 

私は、ローカル線を商品として考えた場合、これら3つの商品特性があると判断しましたから、ローカル線というのはブランド化に適していると考えたのです。

だって、商品数が少なくて、わざわざ買いに来なくてはならなくて、その時じゃなければ買えないのですから、これはまさしくブランド品でしょう。

そして、私はこの自分の仮説を、自分の人生をかけて実証して見たかったのです。

 

なぜなら、これ以上日本のローカル線がなくなってほしくなかったからなんです。

 

では、ブランド化するとどういうことが起きるかというと、一番の特徴はクレームが発生しなくなるんです。

日用品のような毎日使う生活必需品というのは、基本的に価格の競争になります。スーパーマーケットなどは1円でも安ければ皆さんそちらのお店に行ってしまいます。そういう厳しい価格競争にさらされているお店というのは、当然買い手市場になりますからお客様の方が決定権を持っています。お客様の方が決定権を持っているということは、クレームが発生しやすくなるんです。

「ちょっと、何よこれ。」

商品にちょっとでも不具合があると、お客の態度が豹変するようなことが起きるのです。

 

ところが、ブランド化するということは、お客様がわざわざ買いにくるような商品になりますから、簡単に言うとお客様はそのお店のファンになってくれて、そのお店の商品のファンであるわけですから、そういう人は、多少のことがあっても優しい目で見てくれます。

例えば、巣鴨のお地蔵さんの通りで売っている3000円ぐらいの安物のハンドバッグと、専門店でしか買えない30万円のシャネルのハンドバッグ。

この2つのハンドバッグの違いはなんでしょうか?

 

ハンドバッグというのは、中に小物を入れて持って歩くためのカバンですから、3000円であろうが30万円であろうが、機能としての差はないんです。では、何が違うのかというと、「持ってる人の気持ち」が違うんです。

だから、3000円のハンドバッグを買って、1週間で壊れたら、お店にクレームに行きます。

「ちょっと、このあいだ買ったんだけど、もう壊れたわ。安物はダメねえ。」ってね。

安物を買ったのはお客さんじゃないですか。

お店の人はそう言いたいけれど、そんなこと言ったら火に油を注いでしまいます。

ところが、30万円のシャネルを買って、すぐに壊れたらどうなると思いますか。

これ、実際に前の会社の同僚がそういう経験したのですが、その時彼女はこう言いました。

「あらやだ、シャネルでも壊れるのね。」

 

もちろんきちんと修理はしてもらっていましたが、ブランドというのは一つの信仰であり、ファンビジネスですから、ブランド化するということは、クレームが出なくなるのです。

 

さて、では当時のいすみ鉄道の状況はどうであったのかというと、ローカル線のお客様はブランド品を購入するお客様とは程遠い客層でした。

いすみ鉄道が廃止の瀬戸際にあるというニュースを聞いてやってくる人たちの中には、「社長、廃止になりそうなんだって? 乗りに来てやったよ。」とか、「このあいだ大原まで乗ってやったよ。」というような人たちばかりでした。

大原まで500円の運賃を払って乗っていただければ、そりゃあお客様ですが、500円の商品を買っていただくのはよしとして、「このあいだ、お前の所で500円買ってやったよ。」といわれるような商売だったんです。

例えばラーメン屋さんで500円のラーメンを食べたお客さんが、2週間後にその店の主人に、「このあいだ、お前のところで食べてやったよ。」と言われるのと同じです。

一生懸命頑張って、安全正確にきちんと列車を走らせている鉄道会社の職員が、そういう評価しかされていませんでした。

 

ローカル線はどこでも駅の窓口の横の方で、菓子類やいろいろなグッズなどを販売しています。「廃止になりそうだから乗りに来てやったよ。」とか「このあいだ乗ってやったよ。」というようなお客が、そういう商品を見て、「へ〜、増収のためにこんなもの売ってるんだ。じゃあ、かわいそうだから1つ買ってやるよ。」と言って買っていく。それをうちのスタッフがおべっか使いながら「ありがとうございます。よろしくお願いします。」と頭を下げているわけですから、これじゃあプライドも何もありません。

 

中には一生懸命頑張ってくれている応援団の人に向かって怒っている人がいて、黄色いポロシャツを着た応援団の人たちが、「すいません。」と謝っている光景も見られました。

だいたい都会の人間というのは田舎に来ると上から目線の人が多いもので、そういう上から目線の人たちが、頑張っている田舎の人たちに向かって心無い言葉を発し、あるいは怒っている光景というのは、私には許しがたいことでした。

きちんとした仕事をしていたり、一生懸命地域活動をしている人たちが、正当に評価されない。

こういうことは、私にとっては許してはならないことだったのです。

 

ある時、駅で応援団の人に向かって怒っている観光客がいたので、私は気になったので何を怒っているか聞いてみたのです。そうしたらその観光客は、「せっかく来たのに何もないじゃないか。」と言っていたのです。そして、応援団の人は、「すみません。ここは観光地でもなんでもなくて、田んぼの中の無人駅ですから。」と言って謝っていたんです。

 

だから、私は、応援団の人たちに向かって、「そんなことを言われたぐらいで頭を下げる必要などない。」と言って、このポスターを作ったんです。そして、列車の中や駅構内に貼りました。

 

 

皆様ご存じの、いすみ鉄道のオリジナルキャッチコピー、『ここには「なにもない」があります。』のポスターです。

 

 

さて、このポスターを作ってから、いすみ鉄道はまた面白い方向に進んでいったのでありますが、ここから、いすみ鉄道はどうなって行ったかは、明日、≪最終回≫でお話しさせていただきます。

 

どうぞご期待ください。

公募社長総括 9  「姉妹鉄道締結と交流の輪」

 2018.06.09 Saturday 

ちょうど今、台湾に来ています。

台湾鉄路節という、台湾の鉄道記念日(6月9日)の式典にお邪魔しています。
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昨日、その式典が行われ、日本各地の姉妹鉄道締結をしている鉄道会社の代表の方々が台北に集まりました。
▲昨日、台湾国鉄本社の大講堂で行われた式典での記念撮影です。
皆さん日本からやってきた鉄道会社の代表の方々です。
私は前列右から5人目。私の向かって右の方は長良川鉄道の坂本専務さん。左は由利高原の春田社長さんで、そのお隣りはIGRの菊地社長さんです。
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さて、「いすみ鉄道のような小さな会社が台湾の鉄道と姉妹鉄道締結なんてよくできましたね」と思われる方も多いと思いますが、実は私はいすみ鉄道の社長に就任するよりもずっと以前から台湾国鉄とお付き合いさせていただいておりました。
上の写真にもありますが、台湾の国鉄は今年で131周年。もともと清朝統治時代の1887年(131年前)に建設が始まりましたが、日清戦争後に日本の統治が始まると、本格的な鉄道建設が始まりました。ということは、台湾国鉄の多くの鉄道路線が、日本時代に建設されたもので、つまりは日本とほぼ同じ規格なんです。線路の幅も車両の大きさも、駅構内の構造もほぼ同じ。例えば、日本では「出発進行」ですが、台湾国鉄では「開通オーライ」。機関車が引く列車が発車すると、機関士さんは窓から後ろを振り返り、「後部オーライ」と言いますが、それもまったく同じ、「こうぶおーらい」なんです。だからシステムや運営方式まで昔の日本が残っているんです。
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そういう台湾の国鉄に私は大変興味を持って、人づてに台湾鉄路管理局(正式名称)の幹部の方を紹介していただき、台湾国鉄路線の前面展望DVDの撮影を始めました。2005年のことです。
当時はまだ、私たちから見たら懐かしい国鉄時代の日本の鉄道シーンがたくさん残っていましたが、近代化が急ピッチで進んでいましたので、今のうちにこういうシーンを撮影して記録しておこうと考えていました。
台湾南部のローカル列車。
アメリカ型のディーゼル機関車ですが、その後ろの客車は・・・
これです。
40代以上の方ならご記憶になると思いますが、こういう客車は日本でも昭和の時代にたくさん走っていました。
走行中もドアは開けっ放し。
そういえは、昔はどこでもそうでしたね。
車体表記をよく見ると、形式32550と書かれています。これも日本と同じです。
こういう鉄道ですから、私たちの世代にとっては懐かしいし、若い世代の皆様方にとっては、すでに日本では経験できなくなった列車を経験できるのですから、私は、ぜひ日本人にもっと台湾の鉄道を知ってもらいたいという意味で、台湾国鉄のDVDを制作していたのです。
最近の車内はこんな感じです。
台湾の南部で冷房のない列車。これはある意味地獄ですが、今ではすっかり大人気の列車になりました。
冷房が当たり前になった今の時代には、こういう列車が「非日常体験」なんです。
私は年に2回ほどここを訪ねますが、最近ではこういう家族連れがたくさん乗っていますし、日本人の鉄道ファンも必ず見かけるような有名な路線になりました。女性が多いのも台湾の鉄路迷(鉄道ファン)の特徴のようです。
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さて、台湾国鉄とのお付き合いが数年経過して、幹部の皆様方と仲良くなってきたところへ、私がいすみ鉄道の社長に就任しました。
すると、台湾の皆さんは、「鳥塚さん、せっかくあなたが社長さんになられたのだから、何か協力したいですね。」とおっしゃってくれました。震災の後、2012年ごろのことです。
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ちょうどそのころ、雑誌の取材でいすみ鉄道に鉄道ダイヤ情報の助川編集長さん(当時)、旅行写真作家の結解喜幸(けっけよしゆき)先生、台日鉄道交流促進協会の伊藤一己さんがお見えになられて、台湾の鉄道についてインタビューを受けました。私はすでに台湾国鉄の全路線を走破し、それも、運転席に乗り込んで全区間の路線の前面展望を撮影するほどの「台湾鉄道迷」になっていましたので、その席上で台湾の鉄道の素晴らしさをお話しし、ぜひ、日本の鉄道ファンの皆様方に、台湾の鉄道の素晴らしさを知ってもらいたいというような対談をさせていただきました。
なにしろ、日本の鉄道ファンの皆様は、日本のことはとても詳しいのですけど、一歩海外に出ると全く知らないというか、そもそも海外の鉄道など興味がない人たちばかりの印象がありますが、他の国はともかく、台湾の国鉄は昔ながらの日本の国鉄のシーンが展開する、私たち日本人にとっては昭和の懐かしい光景が展開していますから、食わず嫌いではなくて、ぜひ知っていただきたいというのが私の考え方で、その時いらしていただいた助川さんも、結解さんも、伊藤さんも皆さん同じ考え方だったんです。
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今思えば、この時の雑誌の対談で台湾国鉄を取り上げていただいたのが、日本の鉄道ファンの台湾国鉄への門戸開放になったような気がします。
もちろん、そのずっと以前から、私は台湾でカメラを持って運転席に乗り込むなんてことをやっていましたから、台湾国鉄としては門戸は開いてくれていたのですが、日本人が見向きもしなかったんですね。
その後、交通新聞社を中心に台湾の鉄道の雑誌が出版されたり、今では毎月のように台湾の鉄道ニュースが日本の鉄道雑誌で紹介されるようになりまして、多くの鉄道ファンの皆様方が、台湾に鉄道旅行に出かけられるようになりましたが、私がこの雑誌の取材を受けたときには、まだ「インバウンド」などという話が出る前でしたから、今思えば日本人の鉄道趣味に台湾が入ることになるとは、ずいぶん変わったなあと感じています。
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さて、その席上で、台日鉄道交流促進協会の伊藤さんが、台湾の鉄道と姉妹鉄道締結のお話をされました。
「日台」ではなくて「台日」という名前でもお解りいただけるように、伊藤さんたちの活動は、日本サイドではなくて、あくまでも台湾の側に立って、日本人に台湾を紹介する、日本人にもっと台湾の素晴らしさを知っていただきたいというポリシーを感じましたので、私はそれに共感しました。
というのも、日本人って悪い癖があって、どうしても韓国や中国、台湾などのアジア諸国に対して上から目線のところを感じるんです。特に私たち50代よりも上の世代の方々はそういう傾向が強い。私は自分が以前韓国の会社に勤めていたこともあって、そういう日本人的な上から目線がなんとなく嫌だったんです。ところが、伊藤さんたちの活動にはそういうものを全く感じなかったものですから、私はその姉妹鉄道締結に、すぐに乗り気になりました。
なにしろ、台湾国鉄幹部の友人たちからも、「せっかく鳥塚さんが社長さんになられたのだから、何か協力したい。」と言われていましたので、この話はとんとん拍子で進みまして、翌、2014年の秋に、由利高原鉄道に次いで、4番目の鉄道として姉妹鉄道締結させていただきました。(上から目線を感じるというのは、あくまでも私の個人的な感想ですのでご了承ください。)
▲2014年8月。当時の周局長さんをはじめとする台湾国鉄幹部の皆さま方がいすみ鉄道をご訪問されました。
▲そして2014年10月、台北駅で姉妹鉄道調印式です。
もちろん、大多喜町内の手作り甲冑会の皆様方にも台北にお越しいただいてのセレモニー。
皆さん、こんなビッグチャンスに大喜びでした。
「いすみ鉄道があってよかったねえ。」と言われた言葉がうれしかったです。
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ちなみに、その時点で台湾国鉄と姉妹鉄道締結している日本の鉄道会社は、確かJR北海道、江ノ島電鉄の2社だけでしたので、いすみ鉄道は4番目の姉妹鉄道となりましたが、その後、日本に台湾ブームが訪れると、大手の鉄道会社をはじめ、いろいろな会社さんが次々に姉妹鉄道締結を行い、今は日本中で台湾国鉄が知れ渡るようになりました。
京浜急行や東武鉄道では、台湾国鉄カラーのラッピング電車が走るようになった時には、私は本当にうれしい思いがしました。
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いすみ鉄道が集集線と姉妹鉄道締結をすると、その翌年には大多喜町が集集線沿線の自治体である集集鎮と姉妹都市締結をしていただきましたし、そして、昨年は台湾の集集線沿線地域の子供たちがいすみ市を訪問してホームステイ。
いすみ鉄道にも乗車してくれました。
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こうやって、どんどん交流の輪が広がっていくのは、うれしいですね。
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あくまでもいすみ鉄道はきっかけであって、あとは地域の皆さんがどんどん交流を深めてくれるのは、これこそ「サステナブル」につながるのではないでしょうか。
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いすみ鉄道は台湾国鉄と姉妹鉄道締結をするに当たり、私は台湾南部を走る「集集線」を姉妹鉄道として選びました。
その理由は、
・集集線は資材運搬の目的で日本時代に建設された30匱紊力線であり、すでに建設当初の役割は終了していること。
・1999年の集集大地震で壊滅的被害を受けたにもかかわらず、2011年に奇跡的に復興していること。
・被害を受けた駅舎などを地元の人たちが元通りに復元するなど、地域にとても愛されている路線であること。
・観光鉄道化したらわずか数年でたくさんの人が来るようになって、今では町全体が賑わうようになっていること。
というようなところです。
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役割を終わった鉄道だからもう不要です。
そうやって廃止にしてきたら地域全体が廃れてしまった。
これが近年の日本です。
でも、台湾の人たちは、たとえ建設当初の役割が終わっているとはいえ、何かに使えるのではないかということで観光鉄道化したら、わずか10年足らずで大賑わいになって、地域まで元気になってしまった。それも、日本が作った鉄道をですよ。
私は台湾人の方が、日本人よりもはるかに長けているように思いました。
これが、集集線を姉妹鉄道路線に選んだ理由です。
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そして、その集集線ですが、山の中を走る支線で、すでに役割を終わっているにもかかわらず、観光鉄道化してからわずか数年で大人気の観光路線になりました。
本日はいすみ鉄道の影山さんと長谷川部長さんと一緒に乗りに行ってきましたが、私が2006年に初めて乗車した時は1両のディーゼルカーだった列車が、今日は4両で走っていました。
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集集線の列車が発着する田中駅には大多喜町の宣伝がこんなに大きく出ています。
分岐駅の二水駅にはこんなイラスト表示も。
本日の集集駅です。
列車にもこんなにお客様が多くなりました。(皆さん日陰で待っているのが台湾らしいですね。)
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終着駅は観光バスも立ち寄る観光名所になりました。
10年前はシーンとしていたところですよ。
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でも、その台湾国鉄のパワーをいただいて、いすみ鉄道もここ数年で大賑わいの鉄道になりました。
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▲昭和の木原線時代の上総中野駅。
▲今の上総中野駅。
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廃止にしなくても、何か別の利用方法を見つけ出して、上手に使えば地域も一緒に栄えるという、台湾人のお知恵を少しだけ拝借させていただくことで、いすみ鉄道も大きく成長することができたということなのであります。
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私を温かく見守ってくださいました台湾国鉄の友人の皆様、ありがとうございました。
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いすみ鉄道との姉妹鉄道提携はこれからも続きますので、今後とも引き続きいすみ鉄道をどうぞよろしくお願い申し上げます。
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