国吉駅の駅弁売り

 2017.04.23 Sunday 

 

いすみ鉄道の国吉駅は田んぼの中にある無人駅です。

かつては千葉県夷隅郡夷隅町という市町村の玄関口の駅で、駅前商店街も賑わっていましたが、夷隅町はいすみ市に統合されてしまいましたし、ご多分に漏れず商店街が賑わっていたのは昭和の話。今では駅の裏には半分やめてしまった田んぼが広がるだけの田舎の無人駅です。

 

ところがこの駅が今、観光客で賑わっていて、シーズン中の土日ともなればホームはごった返すほど混雑しています。

 

 

駅を訪れる観光客のお目当ては、駅弁売りのおじさんです。

 

 

列車が到着すると、「べんと〜、べんと〜」と威勢の良い声がホームに鳴り響きます。

 

このおじさん、カケスヤスユキさんと言いまして、今年55歳。

「い鉄君」というこの黄色いかぶり物をかぶって、上りホームと下りホームを行ったり来たり。

1個800円のタコ飯弁当を売り歩いています。

 

 

 

昔ながらの駅弁売りのスタイルで、「べんと〜、べんと〜」と声を上げて販売する姿は、昭和の鉄道では当たり前の風景でしたが、今では全国的にも珍しく、千葉県ではここ国吉駅だけではないでしょうか。

お弁当を入れたカゴを首から下げて、これはかなりの重労働だと思います。

 

お弁当の重さは大したことないかもしれませんが、私から見たら、精神的にかなりの重労働ではないかと思えるわけで、その理由は、何で55歳にもなったオジサンが、こんな黄色いかぶりものをして、駅で観光客目当てにお弁当を売らなければならないのかと考えた場合、別に生活が苦しいわけでもなく、駅弁売りが本業でもなく、ただただ、お客様に喜んでいただこうというその一心でお弁当を売っているのであって、それも、保存料など一切使わない手作りのお弁当を、朝4時には起きて、5時前からせっせと作って販売しているのですから、私は重労働だと思うのです。

 

 

停車時間のある列車では、車内に乗り込んでいって、お弁当を販売しています。

お客様も皆さん笑顔でお出迎えです。

 

では、なぜこのおじさんは、55歳にもなって、こんな格好で、人様から笑われながら、一生懸命駅弁を売っているかといえば、それは、いすみ鉄道にいらしていただくお客様に少しでも喜んでもらいたいから。そして、その売上で、駅の草刈りや菜の花の種をまく資金を稼いで、国吉駅をきれいにしてお客様に喜んでいただきたいという気持ちからなんです。

 

駅弁というのは、売れ残りのロスが出るリスクがあります。

そういう商品というのは、どうしてもそのリスクを原価に転嫁する傾向があります。

でも、このおじさんは、天気予報と首っ引きで、明日はいくつ作ろうかと計算して、売れ残りが出ないように作っていますから、この駅弁にはロスが出るリスクがありません。

だから、その分良い材料を使って、少しでもお客様においしいものを作ろうと頑張っています。

でも、大変だと思いますよ。

まず、手作りの少量生産品ですから、どうしてもスケールメリットが出ません。

だから、人件費もろくに稼げませんから、朝5時から自分で手作り。

それに、地元の材料にこだわっていますから、これも手に入ったり入らなかったり。

タコ飯のタコは、いすみ市大原漁港産のタコを使っていますが、このタコの水揚げが不安定で、今年はあまり取れませんでした。

ということは、その分仕入れ価格が高騰するのですが、それでも地元の食材にこだわって、同じ値段で作っています。

おかずに入っているさんが焼きというこの地方独特の魚のハンバーグは、もちろんおじさんの手作り。

「いい魚が上がったんだ。」と言って、目を輝かせながら下ごしらえをしています。

私が、「大変だねえ。全部地元産とは。」と言うと、おじさんは、

「そんなの当り前なんですよ。いすみにいらしていただくのだから、それがおもてなしでしょう。」などと言って、毎週土日に朝から駅弁を自分で作って、自分で売っているのです。

 

かれこれ5年も、土休日は駅で売ってます。

 

みんな休みたいし、遊びたいと思いますよ。

おじさんにだって家庭があるだろうに。

 

でも、その休みたいとか、遊びたいとかいう気持ちをぐっと我慢して、早起きして駅弁を作って売っているんです。

 

5年前に売り出したころは、この駅弁はほとんど売れませんでした。

だいたい田舎の無人駅で駅弁売っても売れるはずがないじゃありませんか。

それでもおじさんはコツコツと毎週駅弁を作っては売って、余ったら自分で食べて。

だって、自分て作ったものは捨てられませんからね。

 

私は何とかこの駅弁を売れるようにしようと、ダイヤ改正をして、土休日の昼間の時間帯にはこの国吉駅で列車を数分間停車するダイヤにしました。そのうちにだんだんと人気が出てきて、今では販売日はほぼ完売するようになりました。

 

 

すごいと思いませんか?

田んぼの中の無人駅で、1個800円の駅弁が1日に40個も50個も完売するんですから。

 

では、どうしてそこまでの駅弁になったか。

 

その理由は3つあります。

 

まず、毎週継続してやっていること。

来ても売ってるかどうかわからないようでは定着しません。

全国的な傾向として田舎のボランティアにありがちなのは、自分たちの都合で商品を作って、自分たちの都合で販売しているところが多いことですが、やはり商売の原則はお客様あってのことですから、継続していくということが大切なんです。

一発イベントでその時だけ賑わう商売が多い中で、今、よく言われている「持続可能なシステムづくり」を、地方創生が叫ばれる前から始めているのですから、大したもんだと思います。

2つ目の理由は、このおじさんの人柄です。

55歳にもなって、こんなかぶりものをして、みんなに喜んでもらおうという姿勢が、お客様に受け入れられているからです。

だから、お客さんが集まってくるんです。

すごく不思議なんですが、いすみ鉄道に乗りに来て、このおじさんからお弁当を買って、おじさんのパフォーマンスを見て、おじさんのファンになって、何度もいすみ鉄道にやってくるようになって、気が付いたらおじさんと一緒に駅弁を売るようになってしまった他のおじさんたちも1人2人ではありません。

そういう人を引き付ける魅力がおじさんにはあるんでしょうね。

そしてこの駅弁が売れる最大の理由は、やっぱりおいしいから。

幾ら毎週パフォーマンスをやったとしても、食べ物は美味しくなければ売れません。

地元の食材にこだわって、自分なりのポリシーで作ったとしても、大切なのは味なんですから。

実はこのおじさんの本業は調理師。

和食の板さんであり、旅館のご主人なんです。

つまり、プロ。

だから、おいしいんです。

そして、そのおいしさが口コミで広がって、田んぼの中の無人駅で駅弁が1日40個も50個も売れるようになったんですね。

 

国吉駅の駅弁は、毎週土日および祝日の発売。

平日は売ってません。

早い時はお昼前には売り切れになってしまいます。

ふつうの時でも、だいたい、12時半ぐらいには完売していますので、ご希望のお客様はお早めにいらしてください。

 

来週の日曜日、30日には国吉駅で「春のいすみ鉄道まつり」が開催されますので、たぶんお弁当もたくさん売れるでしょう。

だから、いつもよりも多めに作ると思いますので、ぜひ召し上がってください。

ゴールデンウィーク中も、一生懸命かぶりものをして国吉駅で声を張り上げてお弁当を販売するおじさんの姿が見られるでしょう。

 

このお弁当は、毎年夏季期間中の6月から9月までは販売を中止します。

その間はポップコーンとかき氷を販売する予定です。

お弁当をご希望のお客様は、今度のゴールデンウィークにいらしてくださいね。

 

どうしてもと言う方は、ご予約の上、ご来訪ください。

 

ご予約先

松屋旅館

0470−86−2011

 

個人経営の旅館ですから、電話に出られない時間帯もありますのでご了承ください。

 

ご予約のお客様も午後1時までにはお引き取りにいらしてくださいね。

 

一度食べてみる価値がある国吉駅の駅弁です。

 

本日の走行距離

 2017.04.22 Saturday 

今朝は3時半に起きて4時に家を出ました。

ネズミの王国の学校に野球部を5時までに送り届けて、アクアラインを通って大多喜へ。

その後、大多喜から福島県のいわき市へ向かいました。

いわき市で吉野まさよし先生と、清水いわき市長さんと会合で、終了後、大多喜へ戻り、会議の後、途中で腹ごしらえをして、ただ今大原の家に到着いたしました。

 

本日の走行距離、696.3kmです。

 

いやあ、よく走りました。

心地よい疲労です。

 

ということで、本日はこれにて終了。

 

いわき市の皆様、お世話になりましてありがとうございました。

記録するということ。

 2017.04.21 Friday 

子供のころからカメラを持って塾へ行っていた私。

写真を真剣に勉強したわけではなく40年以上の歳月が流れてしまいましたので、撮った写真は「作品」ではなくて、単なる日常の景色ですが、それでも、その時の一瞬はその時でしか撮れない1コマですから、年月が経ってみると、「へえ」っと思うものですね。

 

 

私のふるさとの駅、東武東上線の大山です。

上は1974年、下は今年。

 

上の写真は準急の森林公園行7800形でしょうか。

 

池袋から帰ってきて、大山で電車を降りましたが、乗ってきた電車が次の中板橋で通過待ちの電車。

池袋を出るときに準急ホームに停まっていたのが7800だったので、少しだけ待って、やってきたところを写しました。

 

毎日この駅を利用している人たちから見たら、変わらない日常かもしれませんが、やっぱり結構大きく変わっているものです。

 

 

 

こちらは池袋駅の俯瞰。

上が1973年、下が今年。

当時、10階以上の高い建物で上まで無料で上がれるところはほとんどなく、東武百貨店が増築改装で15階建てになりましたので、うちの近くで一番高いところから見られる景色でした。

「ブランデート東武」という名前で、かなり人気が出ましたね。

今年、入院している母親においしいものを食べさせようと、実に久しぶりにこの場所を訪ねました。

ほぼ同じ角度ですが、撮影した階数は昔の方が後1〜2階上だったようですね。

 

変わらないようで、ずいぶん変貌しているのがわかります。

 

最近では、さよなら列車とかで、罵声大会になっているような話を良く聞きますが、若い人たちは、誰でも撮れるような写真を人ごみをかき分けて撮るようなことはせずに、一歩引いて撮ってみるのはいかがでしょうか。

 

20年後、あるいは30年後の将来を見据えて、今から撮影しておくのも面白いかもしれません。

そういうものの見方をしておくと、きっと人とは違った角度から発想できる人間になるのではないでしょうか。

 

 

1973年4月 木原線 上総中野。

全部、当時中学生だった私が撮影した写真です。

 

あれから40年が経過してしまいましたので、私には20年後、30年後は多分ありませんが、若い皆様方にしてみたら、今のいすみ鉄道を写しておくと将来の楽しみができると思います。

今後、沿線や駅がどう変わるか。

時間をかけてじっくり記録するのも、ライフワークとしては面白いと思いませんか。

 

写真を撮って記録するということは、時空を超えた大いなる「遊び」なんですよね。

My mother

 2017.04.20 Thursday 

いすみ鉄道の前身である旧国鉄木原線と同い年、昭和5年生まれ、87歳の私の母ですが、3月下旬に自宅の近くで買い物中に転倒しまして、救急車で病院に運ばれました。

大腿部の骨折ということで、そのまま入院して人工関節を入れる手術を行いましたが、おかげさまでその後の経過も順調で、本日、無事に退院いたしました。

 

関係者の皆様方にはいろいろご迷惑、ご心配をおかけいたしまして申し訳ございませんでした。

 

87歳という年齢のため、下手をしたらこのまま寝たきりになってしまうのではないかと気をもんでいましたが、気力も体力も頭の中身も私よりはるかに元気な母でありますので、驚異的な回復力で、手術から3週間で退院となり、家族みんなで驚いている次第であります。

 

これで、このところ続いておりました私の東武東上線詣では終了ということになります。

 

 

手術後の経過も順調だった母にとっては、入院中の唯一の楽しみは食べること。

こちらは東京駅のデパ地下で売っている3600円のステーキ、ハンバーグ弁当。

「おいしいステーキが食べたい。」というのもですから、肉好きの母に体力をつけさせようと奮発しました。

自分じゃ絶対に買わない弁当ですよね。

 

そうしたら今度は鶏の手羽先にローストビーフ。

 

今度は餃子にレバニラ。

 

カケス団長のポップコーンも。

 

そういえばかれこれ30年以上も板橋で一人暮らしの母に対して、ロクに親孝行もできていませんでしたから、仕事の時間を縫って病院へ通って、食べたいものを食べさせてあげたのですが、その甲斐あって、驚異的な回復力で本日退院となりました。

 

 

はい、退院です。

 

実は、87歳になったので、そろそろ一人暮らしも心配だと神奈川県の江の島に住む妹が言い出して、「私がケア付き賃貸マンションを探すから、お兄ちゃんお金出してよ。」ということで、妹の家からほど近いところに新居を見つけて、この4月にそちらへ転居する予定だったんです。その矢先にケガをして入院してしまったのですが、母としては、1日も早く湘南の新居に行きたいという気持ちから、頑張ってリハビリをして、立って歩けるようになったのだと思います。

 

 

でもって湘南の新居に到着した母です。

 

 

入院中からうどんが食べたいと言ってたので、近くのモールの中にあるフードコートで念願の讃岐うどんを食べてもらいました。

 

 

 

 

 

こちらは本日の江ノ電の踏切。

たぶん外国人だと思いますが、今日もたくさんの観光客でにぎわっていました。

 

母は、大事を取って、明日からこの坂の上にある病院にリハビリのための数週間入院します。

 

これからしばらくの間、私の詣で先は、東武東上線から江ノ電に変わることになりそうです。

 

ということで、とりあえずこのひと月の心配事が一つ軽くなりました。

 

いろいろとご心配をいただきましてありがとうございました。

 

 

 

仕事と人生に活かす「名著力」

 2017.04.19 Wednesday 

私の友人の秋満(あきみつ)さんが本を出されました。

 

仕事と人生に活かす「名著力」というタイトルです。(生産性出版)

 

秋満さんはNHKのプロデューサーで、皆様ご存じの地域発ドラマ「菜の花ラインに乗り換えて」で、いすみ鉄道を舞台にしたドラマ化を実現してくれた影の仕掛け人です。

 

その秋満さんが書かれた本に、私が登場しています。

 

 

 

私の著書を読まれた秋満さんが、私に興味を持っていただいて、いすみ鉄道を訪ねていろいろ取材をする中で、いすみ鉄道のドラマを作ってくれたのですが、それが、何だかとてもありがたいご紹介で、いすみ鉄道にかかわって、ドラマを作ってくれていたことが、秋満さんの人生に大きな影響を与えたように記されています。

どうやら秋満さんにとって私の著書は「名著」のようで光栄です。

その内容は、私の本に書かれている私の人生、つまり、国鉄に入りたくても入れない、航空会社に入りたくても入れなかった時代に経験した私の人生の「寄り道」が、すべて自分の成長の糧となって、いすみ鉄道の役に立っているという内容です。

 

秋満さん、大変ありがたいご紹介をしていただいて感謝したいところなんですが、ちょっと違うんです。

私としては、いすみ鉄道でくすぶっている今の時間そのものが、私の人生の栄養となる「寄り道」だと考えているんですけどね。(笑)

 

ところで、このドラマの撮影中にNHKの撮影チームの監督さんにお願いしたことがあるんです。

「大河ドラマで本多忠勝を取り上げていただけませんでしょうか。」と。

今からちょうど5年前のことなんですが、その時、監督さんが、「本多忠勝って、主役級じゃないんですよね。だから難しいんです。でも、折を見て頑張ってみます。」と言ってくれました。

 

そしたら去年の春に、その監督さんが突然いすみ鉄道の本社にやって来て、「鳥塚さん、ぼく、約束守りましたよ。」って言うんです。「本多忠勝、大河ドラマになりました。」ってね。

地元の人は知らないことでしょうけど、本多忠勝が「真田丸」に登場して、あれほどまでに大きく取り上げてくれたのは、もとはと言えば秋満さんが私の著書を読まれて、いすみ鉄道に興味を持って訪ねてこられたところから始まっているのです。

だって、その「菜の花ライン」の監督さんやプロデューサー、撮影チームは大河ドラマを手掛けている人たちだったんですから。

 

ということで、私のことが書かれているのは数ページですが、皆さん、ぜひ、秋満さんのこの著書をお読みください。

 

ドラマにご出演いただいた片岡鶴太郎さんのことも書かれておりますよ。

 

さてさて、私の人生も残り時間が限られてきましたので、いつまでも寄り道したり道草していることは許されなくなってきましたから、そろそろ本道に戻らなければならない時が迫ってきているというのも、これまた一つの真理なのであります。

 

秋満さんのますますのご活躍をお祈りいたしております。

 

 

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