あのころの佐倉

 2018.04.21 Saturday 

昨日は、1969年(昭和44年)5月号の時刻表を解説させていただきました。

 

昭和44年7月に内房電化が千倉まで延伸し、千葉県内から蒸気機関車が姿を消しましたが、実は千葉県内で活躍していた蒸気機関車の多くが私が今住んでいる佐倉に当時あった国鉄佐倉機関区に所属していました。

 

佐倉の機関車は房総一周する房総東線、房総西線に加え、総武本線、成田線、東金線、そして都心の両国まで乗り入れる列車の先頭に立っていました。新小岩にも機関区、蘇我に支区がありましたが、こちらは主に貨物列車をけん引するD51が所属していたようで、D51は線路の基準の関係から、蘇我よりも先には入ってきていなかったようですから、房総と総武、成田線はもっぱら佐倉の機関車ががんばっていたのです。

 

佐倉機関区の転車台に乗るC57−77。

トリプルセブン。パチンコファンにはたまらない番号ですが、当時は777がもてはやされるフィーバー台開発の前でしたね。

でも、こんな光景が昭和44年までは日常的に佐倉で見られたんですね。

 

 

機関区があったのは、今の地図でいうとこの辺りでしょうか。
今は住宅地になっていて面影もありませんが、まさしくここです。

 

ここは佐倉を出て成田方面にまっすぐ進んだあたり。

この列車は成田線で、左の線路は総武本線の八街方面。複線ではなくて単線が2つ並んでいるところです。

これを見ると、総武本線(左)は非電化、成田線(右)は電化されていますね。

成田線は成田まで昭和43年に電化されていましたが、総武本線の電化は昭和50年までお預け状態。

外房電化の昭和47年に比べると3年も遅かったのですが、電化の順番というのは、当時の国鉄の路線に対する優先順位が表れていたということです。

もっとも、電化されていても成田止まり以外の列車は皆蒸気機関車やディーゼルカーでした。

後ろの高架橋は国道51号線。50年が経過した今もまったく同じような田園地帯が広がるところです。

 

 

 

 

こちらは2006年に訪ねた同じ場所です。ほぼそのまんまですね。

 

総武本線と並走していた成田線の線路が分岐したあたりです。

長熊と呼ばれる地区です。

 

面白い列車がやってきましたね。

C57が重連で客車1両に貨物をつなげています。

 

昭和44年の段階で、こんなシーンが佐倉で見られていたんですから、面白いなあと思います。

 

 

 

 

当時の成田線の時刻表です。

列車番号を見てもわかりますが、千葉から成田までは電化されていて、一部津田沼ー成田間を走る電車がありますが、成田から先へ直通する急行列車はディーゼルカーでしたし、千葉から銚子へ行く列車の中には、400番台の列車番号を持つ機関車牽引の列車が何本も設定されています。これらの列車のほとんどが、佐倉機関区の蒸気機関車が牽引していたのです。

いやいや、これはすごい時代でしたね。

佐倉が、まだ、東京のベッドタウンになる前の、のんびりとした田園だったころですが、今、佐倉に住んでいて思うのは、当時の面影をたくさん残しているということで、私も佐倉に住んでかれこれ30年近くなりますが、今でも、いいところだなあと思っています。

 

さて、当時の総武本線の下り時刻表です。夕方から夜にかけての列車です。

その中で目を引くのは、赤枠で囲った331列車。

昨日お話しした夕方両国駅から出る3本の列車のうちの1本です。

 

両国駅から、館山行、勝浦行、銚子行と夕方3本の機関車牽引列車が出ていたうちの1本がこの列車。

列車番号を見ると、内房線は100番台、外房線は200番台、総武本線は300番台、成田線は400番台となっていたことがわかります。

18:17に両国を出て銚子に着くのが夜10時ですから、いかにのんびりとした時代だったかがわかります。

佐倉以遠に帰る人たちの列車は、20時以降は2本しかなくて、そのうちの1本が機関車牽引列車。

なんだかとんでもない田舎ですよね。

 

さて、こちらは朝の上りの時刻表です。

銚子を4:45に出る322列車と、5:38に出る324列車が機関車牽引列車ですね。

朝挙がった魚を売りに行く行商の人たちや、千葉市内へ通勤する人たちが、この列車に乗っていたんでしょうね。

そして、その列車を佐倉機関区の蒸気機関車が引いていたんです。

 

この時刻表見る限りは総武本線の上り両国行は、両国到着10:25と、内房、外房からの列車に比べてずいぶん遅く上ってきていたことがわかりますが、なぜだかは今となっては不明です。

後、特筆するべきは急行列車。八日市場廻りの「犬吠」と佐原、小見川廻りの「水郷」が佐倉で併合されて都内へ向かっています。

都内からの列車は、同じように佐倉で「犬吠」と「水郷」が切り離されて銚子方面に向かっていましたが、つまり、佐倉というところは、当時は相当な交通の要衝だったということがお分かりいただけると思います。

 

 

まあ、佐倉はこんな感じだったわけですが、実は成田線というのはもう一つの路線があって、それが成田ー我孫子間のこの路線です。
昭和44年5月の時点では、この区間も電化されていなかったことがわかります。

そして、よく見るとここにも機関車が牽引する列車があったことがわかります。

さらによく見ると、その機関車が牽引する列車のうちの何本かが、我孫子から先の常磐線に入って行って、上野まで乗り入れていることがわかりますし、上野から機関車が引く列車が我孫子を通って成田まできていることがわかりますね。

 

当時の常磐線の時刻表を見てみると・・・

ここにありましたね。

上野発、成田行の機関車牽引列車。

夜にもありますね。

 

昭和44年まで、こんな列車が上野から出ていたというのは驚きですね。

成田へ行く列車が蒸気機関車牽引だったのですから、両国発、上野発と、千葉方面へ行く蒸気機関車の引くおんぼろ列車が、東京の人たちにとって見たら、どれだけくすんで見えたことでしょうか。

 

雪の上野駅を発車する常磐線経由成田行の825列車。

 

東京からは東海道、中央、東北と、それぞれのルートで最新型の特急列車が発着している中で、千葉へ行く列車がこんな感じでしたから、新しいものが素晴らしいと思っていた当時の日本人から見たら、千葉というところが、とんでもない田舎に見えたことだけは間違いないと思います。

事実、東京の小学校3年生だった私も、こういう列車を見ていて、「なんだかな〜」って思っていたことは、はっきり覚えていますからね。

 

でも、佐倉というところは明治以降交通の要衝として発展してきたということが、よくわかります。

今、当時の面影が何もないのはさみしいですね。

 

最後は時刻表の欄外の駅弁コーナー。

当時の千葉の駅弁です。

今も売っている焼きはま弁当やトンかつ弁当はもちろんですが、すでにやめちゃった勝浦のあわびちらしは懐かしいですね。

千葉のトンかつ弁当100円、木更津のバーベキュー弁当150円は時代を感じますね。

 

時刻表というのは、時代を語る文学書だということがお解りいただけましたでしょうか。

 

(写真提供 山路善勝氏)

 

 

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