<< 車いすで飛行機に乗る時は | main | 夏のお弁当 >>

デコイチ復活の裏側。

 2017.06.30 Friday 

先日、和歌山県の有田川町にある鉄道交流館でD51が復活したという話の続きです。

 

国鉄の営業線上から蒸気機関車が消えたのが昭和50年12月。

もう42年もの歳月が経過しています。

昭和50年は私が中学3年生の時でしたから、私より若い人たち、すなわち40代以下の人たちは、現役時代の蒸気機関車を知らない、記憶していないと思います。

 

当時はSLブームと言われる大きなブームがあって、何年にもわたって日本中が大騒ぎでした。

私の世代以上の人たちは実は蒸気機関車をSLと呼ぶことには抵抗があって、なぜなら「エスエル」などという、そんな軽々しい呼び方はどちらかというと不謹慎だと思っていて、略して言うのなら「蒸機」であって、そういう人に言わせれば、C57が貴婦人だというのも、どうもしっくりこないわけですが、そのSLブームというのは、昭和50年に蒸気機関車が消滅した時点からさかのぼること5〜6年前の昭和43・44年ごろから始まったように記憶しています。

まあ、記憶と言ってもその頃の私は小学生ですから、何がなんだかよくわからないわけですが、それでも、両国駅から出る機関車にはたくさんのカメラマンがいましたし、テレビや雑誌はもちろんこと、キャンディーやガムの包み紙まで蒸気機関車でしたから、いわゆる猫も杓子も蒸気機関車で、今で言えばテレビを点ければ吉本やジャニーズが出てくるぐらい、年がら年中蒸気機関車が出てきていました。

 

さて、その頃、消えゆく蒸気機関車を惜しんで、当時の大人たちが蒸気機関車の勇姿を後世に伝えようと、全国的に蒸気機関車を保存しようという運動がおこりました。国鉄もこの声に応えて、各地の自治体や個人に蒸気機関車を譲渡しました。譲渡しましたというのは正確ではなくて、ほとんどの場合は無償貸与。なぜならあくまでも国鉄の車両は国民の財産でありますから、いくら使わなくなったとはいえ、タダで譲ることはできないという考え方で、各地の自治体へ無償貸与されて、それが学校の校庭や公園などに展示されました。

 

これらの蒸気機関車が、つまりは「あれから40年。」の歳月を経て、今では全国的にお荷物になっていて、各地でどうして良いかもてあましているというのが現状で、その理由は、当時、「後世に伝えよう。」と蒸気機関車を保存して整備してきたおじさんたち、特に国鉄で蒸気機関車に関わってきた元国鉄マンたちが高齢化で保存のための整備活動もままならなくなっているからで、考えてみれば40年の歳月というのは、当時40歳だった人が80歳になるわけですから、全国的に同時進行で保存活動も頓挫して、公園の機関車は荒れ果てて、困り果てた自治体は、「もう要らないから解体しよう。」となって、ここ数年で保存されている蒸気機関車が全国でどんどん解体されているというのが現状なのであります。

 

思い起こせば中学生の頃は三度の飯より蒸気機関車が好きだった私は、蒸気機関車であればシルエットを見たり、煙突やドームのパーツを見ただけでも形式どころか、当時の所属機関区までも言い当てる特技を今でも持ち合わせていて、そういう私が鉄道会社の社長にさせていただいたわけですから、何とか蒸気機関車を手に入れて走らせることができないかということを、ここ数年真剣に考えてきていました。

ところが、この蒸気機関車というのは、今の時代にはとてもハードルが高くなっていて、ボイラーで火を焚いて蒸気を発生させて、その力でシリンダー内のピストンを動かして動力化するという方式は、億単位のお金がかかって、JRならともかく、とてもじゃないけどいすみ鉄道のような弱小鉄道ではできるはずもありません。

だから、蒸気機関車を走らせるということは、半ばあきらめていたんです。

ところが、鳥取県の若桜鉄道に就任した当時の山田社長さんが、社会実験と称してコンプレッサーで圧搾空気を作って、その空気圧力で機関車を本線上で動かすということをやってのけまして、じつに「あっ晴れ」だったのですが、私もこの時、この方法であれば蒸気機関車を復活させることができるのではないかと考えました。

 

日本人は国民的に蒸気機関車が好きで、今でもJRが各地で蒸気機関車を走らせると大人気になります。私は、こういう機関車を所有して、全国のローカル線に貸し出して、ある一定期間そのローカル線で蒸気機関車を走らせることができれば、それも億単位のお金をかけずに各地で走らせることができれば、ローカル線沿線の人たちは大喜びするだろうし、そうすればローカル線に対する評価も上がるだろうし、地域が元気になるのではないかと考えて、いすみ鉄道とお取引をいただいている車両運搬会社、アチハ株式会社の社長さんにビジネスモデルとして機関車のレンタル事業を提案したところ、「良いですね。うちでやりましょう。」と二つ返事で快諾をいただきました。

 

それから、群馬県川場村でD51を空気機関車として復活させた恒松さんという元国鉄マンの方と会合を持って、技術的な問題をあぶり出して実現に向けて話し合って、何とか前向きに検討してきました。

ところが、そんな折、その恒松さんが突然の交通事故で他界してしまって、一時はダメかとあきらめかけたのですが、技術を伝承されていた方にお願いすることができて、あとは復元対象となる機関車を探すだけというところまでやってきました。

これが昨年の12月の話です。

そして、12月8日このブログで「デコイチを探しています。」と発信したところ、愛知県でご自宅にデコイチを保存されていらっしゃる山田さんという方が、「うちにあります。」とご連絡をいただいたのです。

 

 

その機関車が今回和歌山県で復活した827号機です。

 

この827号機は昭和47年に中央西線の中津川ー塩尻間でさよなら運転をした由緒ある機関車で、愛知県の山田さんという方が、国鉄から譲り受けてご自宅で大切に保存されていた機関車ですが、お父様が他界されて、引き継いだ娘さんが、「何とか走る姿を小さな子供たちや皆様にご覧いただきたい。」と考えられていたところだったものですから、私の呼びかけにお返事をいただいて、それをアチハさんが自社の車両運搬技術で搬出して、整備されて、今回、空気圧で動くところまで動態復元されたというのが一連の経緯なのであります。

 

経緯ついでに、もう一つ申し上げるとすれば、いすみ鉄道ではこういうものは不要と言われてしまいますが、私なりにいろいろな鉄道会社に「走ることができる蒸気機関車を持ってきて、構内で行ったり来たりさせて、鉄道記念館のようなものを作りませんか。」とご提案をさせていただきました。でも、残念ながら鉄道会社というところは、「そんなことやってどうするんだ。」とか、「そんなもの引き受けて、もし不要になった時どう処分するんだ。」というように「できない理由を一生懸命探して言い訳をする。」ようなところが多いというのも事実でして、せっかくデコイチが自分の会社の敷地内に大きな費用負担なしにやってくるという話を、ご提案申し上げた会社さんが皆さん断ってきましたので、今回、和歌山県の有田川鉄道交流館様にお引き受けいただいたところでして、つまりは、有田川町は費用負担することなしに、デコイチが手に入ったという実にラッキーなところなのであります。

 

よく言われるように、「チャンスは前髪しかない。」ということはまさしくこのことでありまして、こちらからお話差し上げたときに、つまり、チャンスが向こうから近づいてきている時に前髪を捕まえることができなければ、目の前を通り過ぎてしまったらもうつかまえることができないということを、私から見たら、せっかくご提案させていただいた鉄道会社の方々が、皆さんみすみす前髪をつかみ損ねたわけでありますから、こうやって実現してみると、「ああ、あの時の話はこのことだったんだなあ。」と思われる関係者の方も全国各地にいらっしゃると思います。

せっかくお金をかけずにデコイチが手に入るチャンスだったのにねえ。

 

私の言うことをきちんと聞かないと、大きなチャンスを失うことになるのです。

 

まあ、本来でしたら、本当の本当に言えば、このデコイチは、いすみ鉄道の国吉駅に来るはずだったんですけどね。

一番大きなチャンスを逃したのは、いすみ鉄道なのかもしれません。

 

ということで、全国の鉄道関係者の皆様。

もう一度前髪をつかむチャンスです。

実際に動く蒸気機関車を集めて展示する車両基地の候補を探しています。

この827号機はこのビジネスの第1号機で、この子以外にも、全国に後世に伝えるべき機関車がたくさんいるはずです。

そういう機関車を所有していらっしゃるオーナーの方々、あるいは保存機関車を持て余している自治体の皆様で、実際に動態化して走らせるために車両提供のご協力をいただける方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。

取得のためにお金はお支払できませんが、今ある機関車を搬出、撤去、輸送まで無料でお引き受けできると思います。

また、全国の鉄道会社で、自社の敷地内にこのように動態化した蒸気機関車を5〜6台保管して博物館を作っても良いとお考えの会社がございましたら、ぜひ私までご連絡ください。

 

このビジネスは、あくまでも蒸気機関車を全国の鉄道に貸し出しをして、全国各地のローカル線に蒸気機関車の汽笛を響かせ、地域の皆様を元気にするビジネスです。必要なのは、そのベース基地となる場所ですので、広い構内をお持ちの会社様で、その一部をご提供いただくことが可能でしたら、自己資金なしで動く蒸気機関車の常駐基地ができるという、おそらく、地域にとってはまたとないチャンスです。

本線から分断された数百メートルの線路があれば、そこを走行させることも可能ですから、地域の目玉になることうけあいです。

 

ちなみにデコイチを自分の鉄道に呼んで、自分の地域で走らせたいとお考えの関係者の皆様。

場所にもよりますが、運搬費、貸出費用を含めて2500〜3000万程度で、蒸気機関車が皆様の地域で復活運転を行うことが可能です。

正式な蒸気で動く機関車ではありませんので、お客様を乗せて営業運転はできませんが、イベントとしては十分だと思います。

ご興味の有る方は、ぜひご用命ください。

 

御連絡先は私、もしくはアチハ株式会社となります。

残念ながらいすみ鉄道のビジネスではありませんが、私も57歳になりましたので、最後の仕事として、いすみ鉄道では不可能なスケールの仕事で自分の人生を締めくくりたいと考えております。

何しろ、これだけのプロジェクトですから、5年10年かかるでしょうからね。そう考えると時間が足りないぐらいです。

 

▲復活運転当日、テレビのインタビューに答えるアチハ社長さん(右)とこのデコイチを長年所有されてきた山田さん(中央)

 

▲あいにくの雨でしたが大盛況でした。

 

正直なところ、D51やC57などのテンダ機関車を数両。そして、C11やC12のような貸出運搬に便利はタンク機関車を2〜3両欲しいなと考えております。

そして、それらを一堂に保存展示する場所を求めております。

これらはあくまでも、私の構想ですが、不要の機関車をお持ちの方がいらっしゃいましたらお申し出ください。

ただし、保存状態によっては使い物にならない場合もありますのであらかじめご了承ください。

 

ということで、本日は、Happy Birthday to me !

 

私自身、残りの人生が見えてきていますので、これからは、やりたいことをどんどんやると誓っているのであります。

 

とりあえず、いすみ鉄道でこういう蒸気機関車を走らせるのが当面の目標です。

もちろん、お金をかけずに。

 

▲雨も上がり顔を出した太陽にナンバープレートを輝かせるD51827。

 

いいでしょう。

全国各地で、ローカル線を守って来た地域の皆様方にこういう光景を見せてあげたいのです。

Calendar
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< July 2017 >>
Links
New Entries
Categories
Archives
Profile
Search this site.
Others