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あこがれの大井川鉄道 その2

 2017.09.05 Tuesday 

大井川鉄道は昭和51年から蒸気機関車を動態保存運転していて、もうかれこれ40年以上の歴史があります。

昨今では、トーマスにした機関車を走らせていて、大変な賑わいを見せています。

 

鉄道が好きで汽車に乗りたい、写真を撮りたいという潜在顧客は世界的に多くいて、そういう人たちの需要を掘り起こすことができれば、小さな鉄道会社であればかなりの増収になりますから経営の一助になります。だから、建設当初の役割が終わった鉄道でも、新しい需要を掘り起こす努力をしていて、今では日本中がある意味で鉄道ブームになっています。

でもこれは、昨日今日はじまったものではなくて、アメリカやカナダ、イギリス、スイス、フランスなどでは、数十年も前から観光列車などというのをやっているわけで、そう考えると、大井川鉄道は何と先進的で将来を見据えていたかということがよく理解できるということです。

 

そして、そういう需要はあらゆるところにあるわけで、小さな子供たちにはトーマスが人気だし、50代以上の高齢者には「懐かしい昭和の汽車旅」であり、若い人たちには「話に聞いたことがある新鮮な非日常体験」であって、カメラ小僧にとって見たら、様々なアングルで撮影できる沿線風景なのだと思います。

だから、観光鉄道には風景が必要なのであって、日本の田舎の景色は、大したことはない田園風景であっても、そこに汽車が走るだけで「絵になる景色」になりますから、日本全国の田舎でローカル線を大切にしてきたところは、いま、そのローカル線から恩恵を得られますよというのが私が常日頃から申し上げていることなのであります。

 

さて、そういう観光鉄道の元祖的存在である大井川鉄道が、なぜこれほどまでに素晴らしいのかというと、他ではまねできない仕組みがここにはあるからで、50おじさんとしては、それに夢中になるからなんです。

 

その、他にはまねができない仕組みというのは、何を隠そう機関車が引っ張る客車。

大井川鉄道の場合はこの客車が、実は本当に素晴らしいのであります。

蒸気機関車が主役であるとすれば、客車はわき役になりますが、大井川鉄道の客車は名わき役で、なくてはならない存在になっているのです。

 

昭和50年代に蒸気機関車を復活させるときに、大井川鉄道は機関車に引かせる客車も国鉄から購入しました。

当時の国鉄は、蒸気機関車は消えたものの、全国いたるところで電気機関車やディーゼル機関車が引く客車列車が走っていて、それも、東北本線の上野発青森行の急行列車なども電車ではなくて客車で、その客車というのはブルートレインのような冷房完備の近代的な客車ではなくて、茶色や青色の旧型の客車が幅を利かせていました。

旧型客車の定義はいろいろありますが、走行中にドアが開くような冷房もない客車で、昭和50年当時、そういう客車は車齢30年ほど経過していましたからそろそろ時代遅れになって来ていて、国鉄は新型の客車や、あるいは電車に置き換えをしているところでした。大井川鉄道では、当時、そのような国鉄で余剰となった客車を大量に譲り受けて、そのままの状態で今でも走らせているから大変貴重なのでありまして、どのぐらい貴重かと言うと、JRの博物館に保存されている車両が、今、ふつうに乗れる状態で走っているわけですから大変貴重なのです。

 

昭和50年代当時のことですが、こういう旧型客車のことを「雑客」と呼んだ鉄道作家が居まして、私は「この人は何とひどいことを言うのか。それでも鉄道作家か。」と軽蔑してその人が書く本の信ぴょう性を疑って一切読まなくなった経験を今では懐かしく思い出しますが、その作家の方が「雑客」と呼びたくなるのも実はうなずけるほど、当時の旧型客車は数が多くて、いろいろな分類ができて、異端児もたくさんいて、そういうカオスな状態にある雑多な客車であったというのも事実でして、例えば東北本線ぐらいになると各駅停車でも電気機関車に引かれた客車が10両ぐらい連結されていて、中学生、高校生だった私としては、前から後ろまでじっくり観察して、どの車両に乗ろうかとワクワクしていたのです。

 

その、ワクワク感が、今でも大井川鉄道で味わえるのですから、私にとっては「あこがれの大井川鉄道」と言えるのです。

 

では、その客車を考察してみましょう。

 

 

まず、この2枚。

オハ35とスハフ42という形式の違いはありますが、よく見ると、上のオハ35にはリベットが打ってありますね。

でも、下のスハフ42にはリベットがありません。これは溶接技術の進歩によりリベットを使わなくなったためです。

また、行先表示板(サボ)を取り付ける場所ですが、上の客車はフックに吊り下げる方式なのに対し、下は枠にはめ込む感じ。

こういうところも大きな違いです。

では、こちらのオハ35はどうでしょうか?

同じオハ35でも一番上のオハ35のようにリベットは打たれていませんね。

それ以外の大きな特徴としては窓の上下にある補強用の帯が、この車には窓の下にしかありません。

わかりますか?

スハフ42を見ると窓の上下に幅10センチほどの帯が横に走っているでしょう。でも、このオハ35にはその帯が下にしかありません。

 

実は、この帯はウインドシル・ヘッダーと呼ばれる車体を補強する帯で、1950年代以前に製造された車両には客車だけでなく電車にも気動車にも存在していたものなんですが、1960年代ごろから製造された車両は、車両製造技術の向上により、車体の内部に格納されて表面には出なくなりました。

このオハ35−149号車はちょうどその過渡期に製造された車両で、窓の上のヘッダーはないけれど、窓下のウインドシルはあるという大変貴重な車両なんですね。形式の話をすれば、この後軽量化された10系客車というのが登場するわけですが、その登場を予感させる車両ということで、日本の鉄道車両技術の発展を示す意味でも貴重なのです。

 

実は私の記憶によると、このタイプの客車は現役当時でもかなり少なくて、奥羽本線の山形付近で一度乗ったきりというほど貴重な車両でした。

 

▲参考写真。

いすみ鉄道で走っているキハ28やキハ52などの1960年代以降に製造された車両は、窓の上下にシルヘッダーと呼ばれる補強板がありませんから、凹凸がなくてツルンとしておしゃれな外観なんですが、大井川鉄道で走っている旧型客車はゴツゴツとしたいかつい感じがあって、これがまた昭和30年代らしいのです。

 


出入り台のドアだって違うでしょう。

 

 

 

 

車内だって、ほら。

全然違うでしょ?

一番上は当時の最新型。急行列車に使用されていたタイプで蛍光灯化されていて扇風機がついています。

真ん中はニス塗の車内。蛍光灯はついていますが、サークライン(円形)ですね。

そして一番下は蛍光灯ではなくて白熱灯。扇風機もありません。

これぞ昭和の各駅停車。

ということで、乗るとすれば当然この一番下でしょう。

 

 

 

 

車内のいたるところが当時のままですから、これぞまさしく文化財でしょう。

トンネルに入ろうものなら、ほら、この通り。

 

こういう旧型客車を総称して「雑客」などと呼ぶ鉄道作家を許せるわけないでしょう。

「お前はそれでも鉄道を愛しているのか。」

10代の私はそう思ったのでありますが、おじさんになってみてわかるのは、こういう客車にさんざん乗って旅した身としては、もういい加減新形に乗りたいというのも心理であって、まあ、戦後生まれですから戦前の客車が懐かしいのであって、戦前の人間としては、もしかしたら「もう見たくないし乗りたくない。」ということだったのかもしれません。

 

いずれにしても、こういう文化財というのは、文化でありますから、文化であるがゆえに、理解できる心があるかどうかが評価の分かれ目になるのでありまして、心のある人がいなくなってしまえば、いずれ捨てられる運命にあるというのも事実でありますから、こうやって詳細を説明することで、私のブログの読者の皆様方にもそういう心をご理解いただく努力もしなければならないのであります。

 

「洋服に下駄」という言葉がありますが、蒸気機関車が新型客車を引いていては、これはまるで洋服に下駄なのであって、大井川鉄道の素晴らしさというのは、蒸気機関車がちゃんとその当時の客車を引いていて、それに乗ることができるというのが、文化的に素晴らしいのでありますから、そこらへんで走っている営業目的の蒸気機関車とは、私は一線を画していると考えております。

 

ということで、これが私が大井川鉄道に恋心を抱いてあこがれているところなのでありますが、そろそろ誰かがしっかり資金を投入して、少なくとも車両の維持管理ぐらいはしていかないとならない時期に来ているというのも事実でありますから、心ある人たちが何とかしていかなければと、ちょっと焦っているのも事実なのであります。

 

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