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MY UNION その2

 2018.03.10 Saturday 

若いころから親のいうことを聞かなかった私は、20代の頃、かなり苦労をしていました。

つまり、やんちゃだったわけですが、そんな私が航空会社に入った時にはすでに2人の子供がいて、カミさんのお腹の中には3人目が鎮座している状態でした。

 

当然のように生活にピーピーしていて、当時住んでいた葛飾区では下町人情あふれる近隣の皆様方が、若い夫婦を応援しようと近所の町工場を紹介してくれて、ニット縫製の工場だったのですが、そのニットの仕上げをする手作業の仕事をもらっていました。カミさんが自転車の荷台に仕事を積んできて、家で内職をしていたのです。

 

航空会社に入って、労働組合の春闘の時に「あなたは今の給料で生活できますか?」というアンケートがありました。そのアンケートに私は「生活できない。」と記入しましたが、その次の設問に、「不足分をどうやって補っていますか?」というのがありましたので、私は「妻の内職」と書きました。

しばらくたって組合集会が行われたときに、アンケートの集計が発表されたのですが、その席上で書記長が、「信じられないんですけど、うちの会社にもこういう人がいるんですねえ。」と言って、「奥さんが内職をして家計を支えている。」って書いた人がいます。と言いました。

もちろんアンケートですから、誰が書いたかはわからないのですが、集会場内はざわめきました。

私は腹が立ったので、「書いたのは俺です。貧乏のどこが悪いのか?」と立ち上がって言いました。

一瞬、会場内はシーンとなりましたが、当の書記長はもちろん、前に座っている委員長も執行部の幹部もニコニコし始めました。

そして、言うのです。

「鳥塚君、君のような人こそ、組合にふさわしい。ぜひ、執行部に入ってくれたまえ。」

 

これが私が組合活動を始めたきっかけです。

つまり、食えなかったから、何とかして自分の給料だけで家族を養っていきたい。そういう単純な理由です。

 

でも、すぐに気付きました。

食えなかったのは20代からせいぜい30代前半ぐらいまでの社員で、40代後半から50代になると、組合員とはいえ、皆さんバーベキューができるような広い庭のある家に住んで、マイカーも持っている。同じ組合には客室乗務員もたくさんいて、彼女たちも多くは都心のマンションに住んで、車だってベンツやBMW。つまり、私たちが目標とするような生活をすでに手に入れていたのです。

 

人間というのは、お金と地位が手に入ると次に欲しいものは何か。これは「時間」なんですね。

自分の時間を大切にしたい。

ところが、組合活動というのは会社の業務が終わってから自分の時間を使って行うものですから、そんなことはやりたくないのです。

「私たちは自分の時間が大切だから、あなたが組合やってね。」などという失礼なことを平気で言う阿呆もいるなかで、こちらは安アパートに住んでカミさんの内職で生活費を補てんして、乗ってる車は25万をゲップで買った中古のオンボロサニーですから、まあ、確かに組合をやるんなら自分だろうなあと、自分で自分を嘲笑ったのであります。

 

これが、同じ労働組合の中に於いての「格差の構造」であって、今思えば、すでに平成の世になった当時は、日本人の社会生活が向上してきていましたから、昭和の時代の「団結」「共闘」などという言葉には説得力がなくなっていたんですね。

 

その後、バブルの崩壊が起こると、今度は会社の中にパートタイマーや派遣社員が多く入ってくるようになりました。

すると今度は同じ職場の中で、組合員(正社員)とパート、派遣(非正規職員)と格差が出来上がりました。こうして、ひとつの会社の中にあちらこちらに格差構造がみられるようになると、労働組合そのものの整合性がなくなります。本当は、一番弱い立場にあるパートや派遣労働者たちにこそ労働組合が必要であるにもかかわらず、彼ら彼女たちは正社員ではありませんから組合に加入することも認められず、40代、50代のすでに満たされた状態にあったシニアの連中が、その自分たちの好条件や職種を守るための機関というのが、平成の初めごろの労働組合の姿になっていたのです。

 

これは内部の話ですが、対外的に見ると、労働組合があるような会社は大企業です。労働組合がない零細企業に勤めているような人たちや、個人事業の人たち、あるいは非正規労働者の人たちから見たら、大企業の社員は人もうらやむような給料をもらっていて、福利厚生も立派です。そういう大企業の人たちが、自分たちの賃金を巡って条件闘争をしているようなことは、昭和の時代ならともかく、今の時代は一般の人たちの理解や支持を得ることはできませんね。

 

こうして内部からも外部からも、どんどん支持を失って行ったのが労働組合の衰退ということなのです。

 

当時の航空会社を思い出すと、機長さんや操縦士たちがいろいろ条件闘争をしていました。

A社とB社の両方が同じB747ジャンボジェットを飛ばしています。でも、賃金はB社の方が低かったもんですから、B社の機長さんたちは、「同じジャンボに乗っているのに、給料が違うのはけしからん。」と言って闘争をしていました。今の時代なら、「会社が違うのだからあたりまえでしょう。」ということも、「共闘」の時代にはあたりまえじゃなかったんですね。

ただ、労働組合ってのは黒塗りのハイヤーがお迎えに来るような、そういう地位にある人たちの条件闘争のためにあるのではありませんから、庶民からどんどんかけ離れて行くようになって、しまいには相手にされないようになりました。

 

今、総理大臣が、同一労働同一賃金などと言うのを耳にするにつけ、還暦が近くなってきたおじさんとしては、当時のことを懐かしく思い出します。

 

当時の職場は、同じ事務所の中で50歳の組合員も30代の組合員も、パートや派遣の人たちも同じ仕事をしていました。

違っていたのは賃金などの報酬だけだったんです。

まして、パートや派遣社員などの若い人たちの方が、同じ仕事をするにもおじさんに比べると早いし丁寧できちんとしている。

好条件の自分の雇用を守ろうとしていたおじさんたちが、労働組合の弱体化とともにどうなって行ったかは押して知るべしですが、労働組合というのは、自分たちの条件闘争をするだけの場ではありません。経営側と組合側が、ひとつのベクトルに向かって行く車の両輪であるという基本的な使命があります。その車の両輪のうちの片方が機能しなくなると、どうなるか。

 

そこのところをよ〜く考えて、皆さん、世の中を良くしていかなければならないのです。

 

「組合が私に何をしてくれますか?」という人たちがたくさんいます。

でもそうではなくて、「あなたは皆に対して何ができますか?」ということが相互扶助の基本なんです。

 

そういうことがわからない人が多くなればなるほど、世の中がおかしくなってきて、結局、自分の生活も危うくなる。

なぜなら、車の両輪だからなのです。

 

(おわり)

 

これ以上の労働組合の話は、いすみ鉄道社長という立場を離れてからお話いたしましょう。

そのうちね。

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