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働き方改革と副業容認の時代

 2018.03.27 Tuesday 

先日UNION(組合)の話を書きましたが、全国的に春闘が盛んのようで、今年はなかなか良い回答を得られている会社もあるようで何よりです。

 

大きな会社というのは社会を引っ張っていく役割もありますから、大きな会社の労働組合が一生懸命賃上げ交渉をして良い回答を引き出すと、それにならって中小企業や零細企業などの人たちの賃金も上昇するという構造が日本にはありました。ありました、というのは確かに過去はそうだったけれど、今はどうなっているかわからないから過去形で述べているのですが、30年近く前に私が労働組合の活動に熱心だったのは、つまりは賃上げを勝ち取って、生活を楽にしたいというハングリー精神からでした。

その頃、私が熱心に組合幹部として活動していた当時の労働組合の主張の根拠になっていたのは、CPIと呼ばれる消費者物価指数。つまり物価が5%上がっているのだから、賃金もそれ以上に上げてもらわないと、実質賃金は目減りしてしまいますから、最低でもCPI分はベースアップしてもらわなければ困るわけで、このベースアップが「ベア」。そして、そのベアで給与の一覧表自体を変えたうえで、定期昇給といって、賃金一覧表のラダーを何段階か上げてもらうのが労働組合の基本闘争でした。

 

この間、FACEBOOKの友人が昭和50年の国鉄入場券の写真をUPしていましたので、私も同じころの入場券を持っているなあと思ってあちこち探して来たら、やっぱりありまして見てみたのです。

それがこれです。

 

 

 

昭和50年1月1日に購入した国鉄矢島線の羽後矢島駅(現在の由利高原鉄道矢島駅)と、昭和52年8月11日に購入した松前線の松前駅の入場券です。

お気づきのように、わずか2年で30円だったものが60円に、倍に値上がりしています。

いすみ鉄道の1日フリー乗車券が、たった2年で1000円から2000円になるようなものですね。

これが昭和の時代の狂乱物価と呼ばれる物価上昇というやつで、国鉄の料金や運賃がこれだけ上がるということは、その他の物価もどんどん上がるということで、労働者として見れば、給料もその分上げてもらわないと生活ができなくなるという切実な時代だったのです。

だから、労働組合でCPIをもとに賃金闘争をすることが根拠として成り立っていたわけです。

 

ところが、デフレの時代に入りまして物の値段が下がると、CPIがへたをすりゃマイナスになりますから、組合の主張を通すと給料を下げなければならない。ということはCPIを根拠にした賃金闘争にならないわけで、つまりはその時点で昭和の時代から続いてきた労働組合の活動方針が根拠を失ってしまったのです。

 

さて、この私ですが、そんなデフレに時代になる以前に、ある重大な事実に気づきました。それは何かというと、「労働者というのは、もらっている賃金の範囲内で生活しなければならない。」ということです。

これは労働者の宿命であって、自分の時間を会社に切り売りをして、自らの労働力を会社に買ってもらう。これが「労働力の商品化」であって、労働者は、できるだけ高い値段で自分という商品を買ってもらうことを目指すわけですが、会社というのはできるだけ安い値段でその労働力を買おうとする。ということは、いつまでたってもいたちごっこになりますから、つまり、いつまでたっても満足する給料などもらえるはずもなく、労働者と呼ばれる人たちは、会社からもらう給料で満足できる生活を送れるわけでもないのです。

 

こういうことに気づいた私は、勤務外の自分の時間を使って組合活動で会社に対して賃上げの要求を一生懸命やって、その結果としてわずかばかりの賃上げを勝ち取る努力は割に合わないと考えて、どうせ勤務外の自分の時間を使うのであれば、他に稼ぐ手段を手に入れて、そちらでお金を稼ぐ方がはるかに簡単だということで、その道に進んだのです。つまり、1つの収入を上げる努力をするよりも、収入の道を2つに増やす方が、トータルで考えればもらえるお金が増えるはずだと考えて、自分で有限会社を立ち上げて商売を始めました。

有限会社を立ち上げるということは、当然帳簿も自分で見ますし、決算書の見方も覚えます。銀行との取引も覚えますし、税金の制度も勉強します。それができたのが外資系企業に勤めているという条件があったからですが、30代前半の頃、私はサラリーマンでありながら、零細企業の社長業をこなすようになっていて、後の世に、結果としていすみ鉄道の社長になることができたのも、この有限会社の経験があったからということになります。

 

一生懸命会社と闘争して僅かばかりの給料のアップを勝ち取るよりも、自分の力で自分で稼ぐ方が手っ取り早いと考えたのが今日につながっているのです。

 

そして30年が経過して、今の世の中、総理大臣が「副業を認めましょう。」などという時代になりました。

 

サラリーマンが、自分の時間を利用して、会社の勤務時間以外の時間で副業をしてもっと稼ぎましょうということのようです。

そういうニュースを耳にするにつけ、私としては「そんなことは30年前からやっているよ。」と思うのですが、でもそれってどうなのでしょうか。

労働者は、本来、自分の本業で稼ぐ賃金で十分に暮らして行かれることが望ましいのではないでしょうか。

副業を認めると会社が言うことは、会社として、「うちの会社で働いているということは、給料だけでは生活して行かれない。」ということを会社が宣言していることにならないのか。

そんなことを考えるのです。

 

労働組合の活動家だった頃、左幸子の「遠い一本の道」という映画を見ました。

昭和50年ごろに制作された映画で、私の北海道鉄道愛の原点になっている室蘭本線の追分を舞台にした作品です。

今の若い人たちにも見てもらいたい、「人が働くことの意味」を問う映画です。

その中で、「一家の主(あるじ)が、自分の働いた給料で家族を養えないような社会は間違っている。」と言うセリフが出てきます。

副業を許可するということは、そういうことを容認することになるのではないか。

本当ならば、1日8時間、週5日働いて得られるだけの賃金で、ちゃんと生活できる社会というのが望ましいはずなんです。

にもかかわらず、勤務終了後に自分の時間を使って副業をしてお金を稼がなければ、満足に生活することもできないとすれば、日本の世の中はどこか間違っているのではないだろうか。

自分の会社のスタッフに満足な給料も払えない社長としては、心が痛むのです。

 

残業代を払えないからサービス残業は禁止。

「皆さん定時に帰りましょう。」

そう言っておきながら、「副業は許可します。」ってのは、根本的なところで何かが違っているのではないでしょうか。

 

外資系の会社員を長年やってきた私の目で見ると、日本の会社に勤めている人たちは、とにかく会社にいる時間が長い。上司が帰らなければ自分も帰ることができないとか、定時に帰ると白い目で見られるなどの労務慣行があるのはわかりますが、会社の仕事をサッサと切り上げて、副業に精を出しましょうというような話になるぐらいなら、一生懸命会社の仕事をして、その分の賃金をちゃんともらいましょう、というのが正しい姿なのではないか。

 

昨今の働き方改革を見ていて、ヨーロッパに比べ、日本人の考え方の貧弱さを痛感するのであります。

 

給料だけじゃありません。住居費なども含めて、もらっている給料だけでは生活できないような構造がこの国にはあって、都会で生活することは、実に大変なことのようです。でも、だからと言って田舎には仕事がない。

そういう構造を何とかして行くのが、本当は国の役目なんでしょうから、総理大臣の仕事は「給料を上げてください。」とか、「副業を認めてください。」と経済界に向かって言うことではないと思います。

 

まあ、だからと言って、総理大臣の言葉に効果がないと言えばうそになりますから、そういう総理大臣が出てきているということは画期的なことで、国民に対してはプラスになっていることは事実ですから、今後、その延長線上でどうして行くか、ということが求められると感じています。

 

そば屋の話じゃあるまいし、モリだのカケだのくだらないスキャンダルをわざわざ作り出すような議論で総理大臣を失脚させようという姑息な手段に振り回されて、国としてやらなければならないことを見失ってはいけないのであり、国民の皆さんはそういうところをきちんと見て、判断しなければならないのですよ。

 

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