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公募社長総括 9  「姉妹鉄道締結と交流の輪」

 2018.06.09 Saturday 

ちょうど今、台湾に来ています。

台湾鉄路節という、台湾の鉄道記念日(6月9日)の式典にお邪魔しています。
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昨日、その式典が行われ、日本各地の姉妹鉄道締結をしている鉄道会社の代表の方々が台北に集まりました。
▲昨日、台湾国鉄本社の大講堂で行われた式典での記念撮影です。
皆さん日本からやってきた鉄道会社の代表の方々です。
私は前列右から5人目。私の向かって右の方は長良川鉄道の坂本専務さん。左は由利高原の春田社長さんで、そのお隣りはIGRの菊地社長さんです。
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さて、「いすみ鉄道のような小さな会社が台湾の鉄道と姉妹鉄道締結なんてよくできましたね」と思われる方も多いと思いますが、実は私はいすみ鉄道の社長に就任するよりもずっと以前から台湾国鉄とお付き合いさせていただいておりました。
上の写真にもありますが、台湾の国鉄は今年で131周年。もともと清朝統治時代の1887年(131年前)に建設が始まりましたが、日清戦争後に日本の統治が始まると、本格的な鉄道建設が始まりました。ということは、台湾国鉄の多くの鉄道路線が、日本時代に建設されたもので、つまりは日本とほぼ同じ規格なんです。線路の幅も車両の大きさも、駅構内の構造もほぼ同じ。例えば、日本では「出発進行」ですが、台湾国鉄では「開通オーライ」。機関車が引く列車が発車すると、機関士さんは窓から後ろを振り返り、「後部オーライ」と言いますが、それもまったく同じ、「こうぶおーらい」なんです。だからシステムや運営方式まで昔の日本が残っているんです。
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そういう台湾の国鉄に私は大変興味を持って、人づてに台湾鉄路管理局(正式名称)の幹部の方を紹介していただき、台湾国鉄路線の前面展望DVDの撮影を始めました。2005年のことです。
当時はまだ、私たちから見たら懐かしい国鉄時代の日本の鉄道シーンがたくさん残っていましたが、近代化が急ピッチで進んでいましたので、今のうちにこういうシーンを撮影して記録しておこうと考えていました。
台湾南部のローカル列車。
アメリカ型のディーゼル機関車ですが、その後ろの客車は・・・
これです。
40代以上の方ならご記憶になると思いますが、こういう客車は日本でも昭和の時代にたくさん走っていました。
走行中もドアは開けっ放し。
そういえは、昔はどこでもそうでしたね。
車体表記をよく見ると、形式32550と書かれています。これも日本と同じです。
こういう鉄道ですから、私たちの世代にとっては懐かしいし、若い世代の皆様方にとっては、すでに日本では経験できなくなった列車を経験できるのですから、私は、ぜひ日本人にもっと台湾の鉄道を知ってもらいたいという意味で、台湾国鉄のDVDを制作していたのです。
最近の車内はこんな感じです。
台湾の南部で冷房のない列車。これはある意味地獄ですが、今ではすっかり大人気の列車になりました。
冷房が当たり前になった今の時代には、こういう列車が「非日常体験」なんです。
私は年に2回ほどここを訪ねますが、最近ではこういう家族連れがたくさん乗っていますし、日本人の鉄道ファンも必ず見かけるような有名な路線になりました。女性が多いのも台湾の鉄路迷(鉄道ファン)の特徴のようです。
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さて、台湾国鉄とのお付き合いが数年経過して、幹部の皆様方と仲良くなってきたところへ、私がいすみ鉄道の社長に就任しました。
すると、台湾の皆さんは、「鳥塚さん、せっかくあなたが社長さんになられたのだから、何か協力したいですね。」とおっしゃってくれました。震災の後、2012年ごろのことです。
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ちょうどそのころ、雑誌の取材でいすみ鉄道に鉄道ダイヤ情報の助川編集長さん(当時)、旅行写真作家の結解喜幸(けっけよしゆき)先生、台日鉄道交流促進協会の伊藤一己さんがお見えになられて、台湾の鉄道についてインタビューを受けました。私はすでに台湾国鉄の全路線を走破し、それも、運転席に乗り込んで全区間の路線の前面展望を撮影するほどの「台湾鉄道迷」になっていましたので、その席上で台湾の鉄道の素晴らしさをお話しし、ぜひ、日本の鉄道ファンの皆様方に、台湾の鉄道の素晴らしさを知ってもらいたいというような対談をさせていただきました。
なにしろ、日本の鉄道ファンの皆様は、日本のことはとても詳しいのですけど、一歩海外に出ると全く知らないというか、そもそも海外の鉄道など興味がない人たちばかりの印象がありますが、他の国はともかく、台湾の国鉄は昔ながらの日本の国鉄のシーンが展開する、私たち日本人にとっては昭和の懐かしい光景が展開していますから、食わず嫌いではなくて、ぜひ知っていただきたいというのが私の考え方で、その時いらしていただいた助川さんも、結解さんも、伊藤さんも皆さん同じ考え方だったんです。
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今思えば、この時の雑誌の対談で台湾国鉄を取り上げていただいたのが、日本の鉄道ファンの台湾国鉄への門戸開放になったような気がします。
もちろん、そのずっと以前から、私は台湾でカメラを持って運転席に乗り込むなんてことをやっていましたから、台湾国鉄としては門戸は開いてくれていたのですが、日本人が見向きもしなかったんですね。
その後、交通新聞社を中心に台湾の鉄道の雑誌が出版されたり、今では毎月のように台湾の鉄道ニュースが日本の鉄道雑誌で紹介されるようになりまして、多くの鉄道ファンの皆様方が、台湾に鉄道旅行に出かけられるようになりましたが、私がこの雑誌の取材を受けたときには、まだ「インバウンド」などという話が出る前でしたから、今思えば日本人の鉄道趣味に台湾が入ることになるとは、ずいぶん変わったなあと感じています。
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さて、その席上で、台日鉄道交流促進協会の伊藤さんが、台湾の鉄道と姉妹鉄道締結のお話をされました。
「日台」ではなくて「台日」という名前でもお解りいただけるように、伊藤さんたちの活動は、日本サイドではなくて、あくまでも台湾の側に立って、日本人に台湾を紹介する、日本人にもっと台湾の素晴らしさを知っていただきたいというポリシーを感じましたので、私はそれに共感しました。
というのも、日本人って悪い癖があって、どうしても韓国や中国、台湾などのアジア諸国に対して上から目線のところを感じるんです。特に私たち50代よりも上の世代の方々はそういう傾向が強い。私は自分が以前韓国の会社に勤めていたこともあって、そういう日本人的な上から目線がなんとなく嫌だったんです。ところが、伊藤さんたちの活動にはそういうものを全く感じなかったものですから、私はその姉妹鉄道締結に、すぐに乗り気になりました。
なにしろ、台湾国鉄幹部の友人たちからも、「せっかく鳥塚さんが社長さんになられたのだから、何か協力したい。」と言われていましたので、この話はとんとん拍子で進みまして、翌、2014年の秋に、由利高原鉄道に次いで、4番目の鉄道として姉妹鉄道締結させていただきました。(上から目線を感じるというのは、あくまでも私の個人的な感想ですのでご了承ください。)
▲2014年8月。当時の周局長さんをはじめとする台湾国鉄幹部の皆さま方がいすみ鉄道をご訪問されました。
▲そして2014年10月、台北駅で姉妹鉄道調印式です。
もちろん、大多喜町内の手作り甲冑会の皆様方にも台北にお越しいただいてのセレモニー。
皆さん、こんなビッグチャンスに大喜びでした。
「いすみ鉄道があってよかったねえ。」と言われた言葉がうれしかったです。
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ちなみに、その時点で台湾国鉄と姉妹鉄道締結している日本の鉄道会社は、確かJR北海道、江ノ島電鉄の2社だけでしたので、いすみ鉄道は4番目の姉妹鉄道となりましたが、その後、日本に台湾ブームが訪れると、大手の鉄道会社をはじめ、いろいろな会社さんが次々に姉妹鉄道締結を行い、今は日本中で台湾国鉄が知れ渡るようになりました。
京浜急行や東武鉄道では、台湾国鉄カラーのラッピング電車が走るようになった時には、私は本当にうれしい思いがしました。
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いすみ鉄道が集集線と姉妹鉄道締結をすると、その翌年には大多喜町が集集線沿線の自治体である集集鎮と姉妹都市締結をしていただきましたし、そして、昨年は台湾の集集線沿線地域の子供たちがいすみ市を訪問してホームステイ。
いすみ鉄道にも乗車してくれました。
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こうやって、どんどん交流の輪が広がっていくのは、うれしいですね。
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あくまでもいすみ鉄道はきっかけであって、あとは地域の皆さんがどんどん交流を深めてくれるのは、これこそ「サステナブル」につながるのではないでしょうか。
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いすみ鉄道は台湾国鉄と姉妹鉄道締結をするに当たり、私は台湾南部を走る「集集線」を姉妹鉄道として選びました。
その理由は、
・集集線は資材運搬の目的で日本時代に建設された30匱紊力線であり、すでに建設当初の役割は終了していること。
・1999年の集集大地震で壊滅的被害を受けたにもかかわらず、2011年に奇跡的に復興していること。
・被害を受けた駅舎などを地元の人たちが元通りに復元するなど、地域にとても愛されている路線であること。
・観光鉄道化したらわずか数年でたくさんの人が来るようになって、今では町全体が賑わうようになっていること。
というようなところです。
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役割を終わった鉄道だからもう不要です。
そうやって廃止にしてきたら地域全体が廃れてしまった。
これが近年の日本です。
でも、台湾の人たちは、たとえ建設当初の役割が終わっているとはいえ、何かに使えるのではないかということで観光鉄道化したら、わずか10年足らずで大賑わいになって、地域まで元気になってしまった。それも、日本が作った鉄道をですよ。
私は台湾人の方が、日本人よりもはるかに長けているように思いました。
これが、集集線を姉妹鉄道路線に選んだ理由です。
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そして、その集集線ですが、山の中を走る支線で、すでに役割を終わっているにもかかわらず、観光鉄道化してからわずか数年で大人気の観光路線になりました。
本日はいすみ鉄道の影山さんと長谷川部長さんと一緒に乗りに行ってきましたが、私が2006年に初めて乗車した時は1両のディーゼルカーだった列車が、今日は4両で走っていました。
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集集線の列車が発着する田中駅には大多喜町の宣伝がこんなに大きく出ています。
分岐駅の二水駅にはこんなイラスト表示も。
本日の集集駅です。
列車にもこんなにお客様が多くなりました。(皆さん日陰で待っているのが台湾らしいですね。)
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終着駅は観光バスも立ち寄る観光名所になりました。
10年前はシーンとしていたところですよ。
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でも、その台湾国鉄のパワーをいただいて、いすみ鉄道もここ数年で大賑わいの鉄道になりました。
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▲昭和の木原線時代の上総中野駅。
▲今の上総中野駅。
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廃止にしなくても、何か別の利用方法を見つけ出して、上手に使えば地域も一緒に栄えるという、台湾人のお知恵を少しだけ拝借させていただくことで、いすみ鉄道も大きく成長することができたということなのであります。
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私を温かく見守ってくださいました台湾国鉄の友人の皆様、ありがとうございました。
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いすみ鉄道との姉妹鉄道提携はこれからも続きますので、今後とも引き続きいすみ鉄道をどうぞよろしくお願い申し上げます。
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