昭和35年生まれの今

 2017.11.17 Friday 

アンパンマンのドキンちゃんの声優さん、鶴ひろみさんがお亡くなりになられたというニュースが飛び込んできました。

首都高速道路を運転中に具合が悪くなって、路肩に停止させてハザードを点滅させて、そのままお亡くなりになられたらしい。

最後の力を振り絞って、ドライバーとしての非常措置を取って、それで息絶えられたのでしょう。

立派ですね。

 

私は別に彼女と交流があったわけではありませんが、気になったのが、同じ昭和35年生まれということ。

 

昭和35年生まれって、この間までは若造だった気がするのに、いつの間にかそういう年齢になったんですね。

 

この間銀行の部長さんや支店長さんと会合したときに、何名かの方から、「私も昭和35年生まれです。」と言われました。

学校の校長先生からも、「私も昭和35年生まれなんです。」と言われます。

大きな会社の取締役の方からも、「同い年ですよ。」と言われます。

 

そう言われてお顔を拝見すると、皆さんなんだか相当なお年に見えるから不思議です。

私よりもずっと年上に見える人もいらっしゃいます。

多分これは目の錯覚で、私だって人から見たらそれなりの年齢なんでしょうね。

 

昭和35年生まれというのも、若い若いと思っていても、すでにサラリーマンとしては上がりの年になって来ているのです。

「上がり」、すなわち第4コーナーをすでに回っているわけですが、競馬ならこれからデッドヒートが繰り広げられるでしょうけど、サラリーマンの場合はすでに勝敗がついていて、つまりはこれ以上どうにもならない上がりのポジションなのであります。

 

そう考えると、人生あっという間ですね。

 

同窓会の名簿を見ても、先生なら理解できるけど、同級生ですでに鬼籍に入られている友も片手では足りないほど。

 

なんだかなあ。

 

日が暮れるのが早い季節は、自分の人生もつるべ落としのような気がしてしまいますね。

 

今度、昭和35年会でも作りましょうか。

 

まあ、ピンポイントじゃなくても良いので、前後3年ぐらい時差を設けても良いかもしれませんね。

 

何となく思い出すのは、国鉄の幹線から特急列車をけん引していた蒸気機関車が姿を消して、国鉄の長期計画を見て、「ああ、いずれ全部廃車になるんだろうなあ。」と思っていた頃の感じかなあ。

昭和40年ごろでしょうかね。

でも、それから、全廃に向けての10年間が、実は蒸気機関車が一番活躍した時代だったかもしれません。

 

そして、今でもまだ、蒸気機関車は人々の夢を乗せて走っているのであります。

 

そう考えて、最低でもあと10年、社会で活躍して、お国のために貢献したいなあ、などと、手元の切符を眺めながら、そんなことを考えている今夜であります。

 

 

さあ、獺祭を飲みに夜の町にくりだしてみるか。

 

 

人生って、なかなか良いもんですよね。

 

記憶の残照

 2017.11.16 Thursday 

今日は上野に行く仕事がありました。

 

少し時間があったので、ふだんは行かないところへ行ってみました。

 

 

不忍池(しのばずのいけ)です。

東京育ちの文学青年のなれの果てとしては、不忍池に来て思い出すのは森鴎外。

「雁」のラストに出てくるのがここですからね。

 

 

この池の裏手をまわるとこの坂に出ます。

 

昭和世代の方ならご存知の無縁坂です。

 

長崎生まれの彼がなぜこの坂を題材にしたのかは知りませんが、あの有名な曲はまさしくここなんですね。

 

そして、この坂の途中にあるお寺。

 

 

 

 

ここはうちの菩提寺なんです。

 

昔よく連れてこられた記憶があって、ふとそのことを思い出して今日40年ぶりに訪ねてみました。

 

東京は土地が狭いので、菩提寺と言ってもここにはお墓が無くて、うちのお墓は雑司ケ谷。

だから、お墓参りはいつも雑司ケ谷で、この菩提寺に来たのは勝浦のおばあちゃんが亡くなって葬儀を上げて以来。

だから本当に久しぶりで、正確には38年ぶり。

記憶はだんだんあいまいになって来ているけど、久しぶりに訪ねてみて思ったのは、確かに子供のころ連れてこられたのはこのお寺なんです。

私のかつての本籍地は中央区築地7丁目。

ここに菩提寺があって、お墓は雑司ケ谷。

どういう経緯でそうなったかは、親父も伯父さんも皆いなくなってしまいましたので、今となっては知る由もありませんが、子供の頃、この坂を登ってこのお寺にやってきて、お坊さんのお経を聞いて、終わったら坂の下の東天紅でみんなでおいしいお料理をいただいてお開きになるのが我が家の習わしだったのです。

 

皆さんそれぞれ子供の頃の思い出はおありだと思いますが、東京生まれの東京育ちの人間にとってみれば、こういう都会のマンションの片隅にひっそりとたたずむお寺が、大切な思い出の場所だったりするわけなのです。

 

ちなみにここは父方の菩提寺でありまして、私は10代の頃に父と生き別れになりましたので、その後はこのお寺にも来ていませんが、母方はというと板橋の不動通りの成田山観明寺。

この間、鉄道ジャーナル社のTさんと話していたら、実は同じお寺だったことが判明しました。

 

世の中狭いですねえ。

 

ということで、今夜はこちらをお聞きください。

 

こういうことをふと思い出すということは、爺になったということなんでしょうね。

哀愁の田園都市線

 2017.11.15 Wednesday 

先週も書きましたが、板橋は田舎だと馬鹿にされて育った私にとって、田園都市線はあこがれの路線でした。

 

田園都市って、結局は田舎ですよって自分から言っているようなものですが、これは東急がやるからおしゃれに聞こえるのであって、TBがやったら「アーパー」になってしまう。これがブランド化の上手下手なのだと思いますが、今から35年以上前、所帯を持って下町の代表ともいえる葛飾柴又帝釈天の近くのアパートで、女房子供抱えて生活に追われていた私にとっては、当時流行っていた「金妻」というテレビ番組で、田園都市線が出てくると、同じ人間の住むところとは思えないほど、なんだか知らないけれど輝いて見えたわけで、つまり、東急の田園都市線とか、あるいは東横線とかは、そういう目で見えていたのであります。

 

そのころ、何かのテレビ番組の企画で、東京からみて田園都市線のたまプラーザと同じ距離、時間にある京成電車のユーカリが丘を比較した番組があって、都心まで同じ距離、時間にあるのに、たまプラーザは不動産価格が大変高い。では、本当にたまプラーザの方が住みやすいのかと言えば、実はそうではなくて、子育て環境や不動産価値だけでなく、魚や野菜なども千葉県ユーカリが丘の方が新鮮で安い。同じ住宅ローンを払うなら広い家に住めるし、絶対的にユーカリが丘の方が有利だし、価値があるという結論に達しました。

その結論を持って、道行く人々に「どちらに住みたいですか?」とインタビューして歩くと、ほとんどの皆様が田園都市線のたまプラーザに住みたいと答えられていました。

これが田園都市線ブラントだったんですね。

 

私は、当時は東京の田舎と言われて馬鹿にされていた板橋の育ちですから、あこがれとは別に「現実」ということも重要な意思決定要因でありますので、ちょうど成田空港での仕事に変わったこともあって、ユーカリが丘の千葉県佐倉市に引っ越してきたのでありますが、京成電車は年を追うごとにどんどんあか抜けて行き、今ではすっかり都会の雰囲気の電車になりましたし、通勤ライナーまで走らせてくれているし、当時見たテレビ番組でやっていたように、住環境も良いし、犯罪も少なく子育ても満足できる地域だし、肉や魚や野菜も安くておいしいという、実に快適なアーバン&カントリーライフを満喫させていただいているのでありますが、昨今の田園都市線のニュースを見ると、35年とか40年とかが経過すると、本当に時代が変わるんだということを実感するのです。

 

当時、40ぐらいで田園都市線に不動産を購入して移り住んだ方々はすでに70を超えているわけです。

田園都市線沿線の不動産価格はとても高額だったのは私も存じ上げておりますが、そういう不動産を購入できたということは当時それなりの企業にお勤めされていらしたエリートの方々だと思いますし、背伸びして買われた方々は、その後の子育てや教育費などで大変なご苦労をされてきたと思います。30年以上が経過して、その第一世代の方々はすでにリタイヤされて、田園都市線で通勤されることもなくなったと思いますが、その方々が苦労して育てられた第2世代の御子息たちが、今、田園都市線で通勤されている。

ところがその田園都市線は最近やたらとトラブルがあって、つまり、「おやじとおふくろが憧れて買った田園都市線沿線なんて、ちっとも快適なエリアではない。」ということになっているのです。

 

実は、通勤電車が時間通りに動かないなどということは、田園都市線ばかりでなく、東京近郊では日常茶飯事のことでありますし、老朽化によるトラブルだって、別に東急が手を抜いているからではなくて、どこの鉄道だって老朽化しているのです。

だけど、それが田園都市線に集中しているようなイメージがあって、報道も田園都市線をやたらに強調しているように感じる。

 

それはなぜか?

 

やはり、皆さんが憧れている路線であって、そういうイメージがあるから、何かにつけてやり玉に挙げられるのではないでしょうか?

 

30数年前、たけしや鶴太郎が、「今どき4両の京成電車」とバカにしていた京成電車ですが、そんなことを言ったら池上線や目蒲線は3両でしたし、電車ももっとボロかったけど、それは東急だと許せるけど、京成だと許せない的なイメージ先行型だったと思うのでありますが、それが、今になってトラブル続出となると、京成ならしょうがないけど、東急は許せないとなるのでしょう。それと、人間には妬み嫉みがありますから、田園都市線への憧れ、自分たちの手に届かなかった田園都市線が今トラブル続きだということは、ニュースとして大衆の真理を納得させるのかもしれません。

 

なぜ、私がこんなところに気づくのかと言えば、それはすなわち私自身が板橋の田舎で育って、あこがれよりも現実を優先させて京成電車のユーカリが丘に家を買いましたから、やっぱり心のどこかで田園都市線に妬み嫉みを持っているからでしょう。所帯を持った当時、逆立ちしたって買うことができなかった地域ですからね。

今の人たちはあまり気にしなくなったと思いますが、私の世代は鉄道路線や地域に対するイメージというのが、とても大きな意思決定要因だったのです。

 

でも、そのイメージというのは必ずしも実態に即したものではないというのも30数年を経過して明らかになった事実ですから、可哀そうなのはその子孫の方々で、田園都市線というのはイメージが先行する割には大したことのない路線だということをよく知っている。イメージが良いとか、ブランド路線だとかいうことは、あくまでもおやじとおふくろの世代の話であって、自分たちはそんなことは全く思っていないわけですからね。

そうして、その電車が今日もまたトラブルで満足に走らない。

 

何度も言うけど、満足に走らないのは何も田園都市線だけじゃないのですが、大々的に報道される。

 

つまり、沿線の現役世代にとっては、田園都市線ブランドはすでに都市伝説化しているのであります。

 

かくいう私も、息子を田園都市線沿線の学校に入れて、田園都市線沿線に下宿させたのでありますが、とうの息子は社会人になるとさっさと田園都市線沿線を引き払って、今では東武東上線沿線の埼玉県に住んでいるわけで、彼に言わせると、田園都市線に比べて、東上線は実に快適な路線なのであります。

 

不思議ですよね。

 

田園都市線沿線よりも東上線が良いという心境。

バブル世代のおじさんとしては、そういうところが理解に苦しむのでありますが、だとしたら、時代が完全に変わったということなのだと思います。

 

誤解しないでいただきたいのは、我が愛しの京成電車も、ふるさとの東上線も、トラブルが多いわけでもなく、それぞれ通勤ライナーを走らせて座って帰れる環境を整えてくれていますから、本当に交通機関としては快適なのでありますが、あくまでも昭和の末期の「金妻時代」のブランド化の話で、そのブランドが時代が変わってすでに神通力を失っているにもかかわらず、世の中は今でもイメージに支配されているという傾向があるということでありますから、実は快適な路線や地域で、ただ単にブランドイメージで立ち遅れていた京成電車の沿線にあえて居を移した私としては、実によい人生を送らせていただいたことに感謝をしているのであります。

 

さて、こういう鉄道路線のトラブルのニュースを耳にするにつけ、現場出身の私としては、鉄道の現場で働く職員の皆様方のことが真っ先に頭に浮かぶのでありまして、最近では契約会社の警備員の方々がカスタマーフロントに立っているのかもしれませんが、そういう方々を合わせまして、お客様の矢面に立たされながらも、きびきびとお仕事をされている鉄道の現場の皆様方の勤務に対する熱意に敬意を表したいと考えるのであります。

 

皆様、本日もお仕事お疲れさまでございました。

本日も台湾からのお客様がいらっしゃいました。

 2017.11.14 Tuesday 

先日の中学生の皆様方の教育旅行に続き、本日も台湾からのお客様がいらっしゃいました。

 

台北の 歡日遊旅行社STAR TOURS という旅行会社さんが主催する団体旅行で、いすみ鉄道を行程に組み込んでいただきました。

 

総勢38名様で大多喜駅のホームで全員集合の記念撮影。

 

年齢が高めの皆様方でしたので、何度も日本にいらしていらっしゃる方だと思います。

そういう方は、ゴールデンルートではなくて、いすみ鉄道のような知る人ぞ知る、個人ではなかなか来られない場所が良いのだと思います。

 

 

スタッフがお見送りです。

 

 

 

なんだか皆さんとても楽しそうでした。

 

彼らのコースは、昨日、CX450で成田へ来て成田のホテル泊。

バスでいすみ鉄道に来て、上総中野まで体験乗車。その後養老渓谷を一回りして、本日は三浦半島に泊。

明日は鎌倉から湘南を通って伊豆半島へ

その次は伊豆半島から船で駿河湾を渡って牧の原台地に

最後は明知鉄道の食堂列車にご乗車される8日間ツアーのようです。


同じ食堂車に乗るのなら、次回はいすみ鉄道の伊勢海老特急にしましょうね。

 

12月の初旬に台湾に行きますので、STAR TOURさんに営業に行ってまいります。

 

先日の北海道観光列車の旅もそうですが、私は姉妹鉄道締結以前から日本の鉄道ファンの皆様方を台湾鉄道の秘境や、個人ではなかなか行かれないところへお連れするツアーをやっていますので、お客様をお迎えする側のノウハウもそれなりに持っていますからね。

 

皆さん実に楽しそうでございました。

 

そろそろいすみ鉄道沿線も観光シーズンになってきています。

本日もこの他に2つの団体のお客様にいらしていただきました。

 

9月10月は悪天候で全然ダメでしたので、この時期にしっかり稼がないといけませんね。

 

お越しいただきました皆様、本日はありがとうございました。

 

 

本日台湾の皆様方がご参加いただいたコースは こちら です。

彼らから見た日本のイメージがよくわかりますね。

 

歡日遊旅行社STAR TOURS のホームページも是非ご覧ください。

 

次回は20日。

台湾の鉄道ファンの皆様方がお見えになります。

快速「とっとりライナー」

 2017.11.13 Monday 

 

 

本日はキハ28の快速「とっとりライナー」が走りました。

 

これは個人のお客様による貸切運転で、キハ28をチャーターしていただき、どうしても取り付けて見たかったというこの「とっとりライナー」のヘッドマークを取り付けて撮影したものです。

 

いすみ鉄道のキハ28は国鉄形ですから、つまりは、かつて北海道から九州まで同系列の列車が活躍していたわけで、いすみ鉄道に初めていらしていただいたお客様でも、「懐かしいなあ。」と思っていただけるのでありますから、それぞれの思い出の列車を走らせることだって可能なわけです。

 

 

昔懐かしいヘッドマークを取り付ければ、能登半島ですでに廃止されてしまった能登線の列車になることもできますし、

 

 

鳥取県御出身の大切なお客様をお迎えするときは、山陰本線や因美線の列車になることもできるのです。

 

もちろん、一般のお客様がご乗車になる車両ではこういうことはできませんので、貸切をしていただいてのお話となりますが、ヘッドマークの製作費用も合わせて、貸切料金はしめて10万円。

 

10万円で国鉄時代からの夢が叶うのですから破格でしょう。

もちろん、取り付けたヘッドマークは記念にお持ち帰りいただけますよ。(台枠は除く)

 

本日、夢をかなえられたのはまだ若い大学4年生のお客様でした。

 

「キハ28を動態保存していただいて、本当にありがとうございました。」

と、ご丁寧に御礼のお言葉をいただきました。

 

皆様、いかがでしょうか?

 

この貸切は平日のみの取り扱いですが、お一人様でも40名様でもできますよ。

 

ヘッドマークはデータをご用意いただいて、いすみ鉄道で作ります。

ご自身のヘッドマークをお持ちいただいて取り付けることはできませんのでご注意ください。

(貸切列車の発車前の停車中は貸切される方でしたら対応可能です。)

 

ちなみに、平日の日中時間帯の列車番号500番台の列車が貸切できるダイヤになります。

貸切はキハ28、またはキハ52のどちらか1両のみです。

時刻表に掲載されている列車ですので、もう1両は一般のお客様がご乗車になられます。

 

ご希望の方は、できるだけお早めにいすみ鉄道までご相談ください。

 

なのはなの季節など多客期の貸切は対応できませんのでご了承ください。

 

なお、キハ28は年明けから2月上旬まで検査のため運休となります。

 

この間は土休日の急行列車はキハ52の単行運転またはキハ20の代走となります。

詳細につきましては後日またご案内いたします。

 

12月31日には夜行列車企画も計画中です。

 

どうぞご期待ください。

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