今日の国吉駅

 2018.05.19 Saturday 

 

 

今日は朝から国吉駅でお客様のお相手をしていました。

団長たちとこんな写真を撮っていたんですが、思い出したことがあったんです。

 

 

この場所なんですけどね、実はこんな写真があるんです。

 

 

1956年、昭和31年の国吉駅です。

鉄道趣味の大先輩のMさんという方が、「こんな写真がありますよ。」といつだったか見せてくれたんです。

 

写っている車両は国鉄の元祖レールバス。

当時から閑散線区として考えられていた木原線に、国鉄がこんな小さな車両を投入していたんですね。

62年前です。

 

おそらく大多喜方面への下りホームの位置が同じだと考えると、この場所はこんなアングルだろうなあと思って撮った写真がこれです。

 

 

この赤枠の部分が、ちょうど上の白黒写真のレールバスが留まっていた当たりなんだろうなあ。

 

と、まあ、そんなことを考えてみたりすると、これってすごいことなんだろうなあ、なんて思って見たりするのです。

 

62年の歳月が、確かに存在するんですね。

 

こういうことが、観光資源になるってことは、昔に撮影した写真があればこそ。

ということは、すべてにおいて先人がいっるってことなんですよね。

 

本当に頭が下がる思いです。

 

Mさん、ありがとうございました。

 

おギャーと生まれた赤ん坊が定年を迎える歳月には、やはりそれなりの重みというものがあるのです。

今宵も更け行く

 2018.05.18 Friday 

なんだかんだで今夜も作戦会議。

 

 

 

房総半島の外房海岸は、今夜は大風が吹いております。

 

でも、こうして「何とかしよう。」と作戦を練っています。

 

今夜と明日は大原泊りです。

 

詳細はFACEBOOKで。

本日の新聞報道につきまして

 2018.05.17 Thursday 

本日の新聞報道につきましては、皆様方には大変ご心配をおかけいたしますことをお詫び申し上げます。

 

昨日、取材を受けまして、記事になるのはもう少し先だろうと思っていたところ、昨日の今日で、私自身も少々戸惑っておりますが、書かれている内容につきましては、事実でありまして、それ以上でもそれ以下でもありません。

 

いずれ、この場で、あるいは新しく出版を予定しております著書の中でいろいろお話しできると思いますが、いすみ鉄道の現状は、決して楽観視できるものではありませんが、それでも、地域の代表の皆様方が、今後も、いすみ鉄道を残すとお約束してくださいましたことが、私が退任を決断できたことであります。

これは、地域の皆様方が、いすみ鉄道の価値をきちんと認めてくださったということで、いすみ鉄道があることで、地域にいろいろプラスになる面があるとお考えいただいているということです。

私が就任した9年前は、地域住民の半数以上の方が、「いすみ鉄道は要らない。」と言っていたものが、今では、「いすみ鉄道は必要だ。」と皆さんが言ってくれるようになりました。

これは、この沿線は大きな可能性を内包しているということで、そういうこときちんと続けていけば、必ずこの沿線は良くなると、地域の皆様方が、体感としてご理解いただけたということだと思います。

 

私は未来永劫「終身名誉社長」ではありません。

いつかは、誰かにバトンを渡す時が来ると自ら考えていましたが、今年、30周年を迎えることができまして、地域の皆様方にお祝いをしていただきましたことで、一つの区切りができたと考えました。

私の後任は、千葉県をはじめとする取締役の皆様方がお決めになられることで、会社の性質上私が人選に関与することではありませんが、今のいすみ鉄道は、誰が代表になっても、鉄道を「安全、正確、低コスト」で走らせることは十分にできる会社です。

心配なのは情報発信や営業面ですが、その点については、掛須団長率いる応援団の皆様方や、業務上お取引いただいている大手旅行会社さんなど、専門家の方々にもご協力いただいて、今まで通り運営していかれる目処が立っております。

そして、私も引き続き、その面で外部からいすみ鉄道を支えていくことを継続してまいります。

 

全国各地の現状を見ますと、いすみ鉄道のみならず、10年後はどうなっているかということは誰にもわかりません。

ただ、今回私が退任を決意できたのは、少なくとも2025年までは、たとえ赤字であっても県と地域がしっかりといすみ鉄道を支えてくれるというお約束をしていただいたことで、そのサポートがある間に、いすみ鉄道も沿線地域も、しっかりと自立していくことができるような仕組みを作っていくことが可能であると判断したためです。

 

どの地域もそうですが、自分たちの未来は自分たちで作って行かなければなりません。

そして、いすみ鉄道の場合は、そのための道筋は準備できています。

やり方や方法論もすべて手の内をさらしてお見せしてきました。

あとは地域の皆様方が、「自分たちで」しっかり未来を作って行っていただけるように、私は引き続きサポートさせていただきたいと考えております。

 

今後ともいすみ鉄道をどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

とりあえず、今日のところはこの辺りで。

 

今度の土日は、出勤いたします。

20日のヘッドマーク祭りでは、私も急行列車に乗務する予定です。

 

皆様方のお越しをお待ちいたしております。

なぜか私が札幌人

 2018.05.16 Wednesday 

札幌で人気の長寿番組「札幌人図鑑」というのがありまして、先日私が出演させていただきました。

 

本日、Netが解禁になりましたので、ここにご紹介させていただきます。

 

20分程度の動画ですのでごゆっくりとお楽しみください。

 

「札幌人図鑑 第1450回」 (←ここをクリック)

 

収録したのは4月の初旬、ちょうど息子の大学の入学式に出席するために札幌へ出かけたときに、学校が終わってからの撮影でした。

この時は外は雪が降っていましたが、わずかひと月ちょっとで今日の札幌は28度まで気温が上がったようで、季節の移り変わりを強く感じます。

 

司会の福津京子さんはとてもテンションの高い方でしたので、私も彼女を見習って、一生懸命テンションを上げてカメラに臨みました。

 

よろしかったら、どうぞご覧下さいませ。


「お約束ですから」と言われ、歌まで歌っちゃったりして。

 

 

 

機関車少年

 2018.05.15 Tuesday 

私の友人で入江高亘さんという方がいらっしゃいます。

年齢は私より少し下なのですが、蒸気機関車が大好きで、今、全国を回って、ボランティアで公園などに保存してある蒸気機関車をピカピカに磨いて歩く活動をされていらっしゃいます。

 

入江さんは九州育ち。関東で育った私よりも年は下ですが、子供のころ、身近なところで当たり前のように蒸気機関車が走っていたという点では、実に恵まれたうらやましい幼少時代を送られていらしたようです。

何しろ、東京都内から蒸気機関車が消えたのは昭和44年で、私は小学校3年生でしたが、九州から蒸気機関車が消えたのは昭和49年から50年ですから、私よりも入江さんの方が、小学校高学年まで煙の匂いをかぐことができたという点で、うらやましい経験をされていらっしゃるわけです。

 

その入江さんが、こんな写真を見せてくれました。

小学校4年生のころ、入江さんご自身が撮影された写真だそうです。

 

 

 

【入江さんの思い出】

 

小学校(3年から)4年の頃、土日は豊肥線の駅で、ずっと蒸気機関車牽引の貨物列車が来るのを待ってました。
乗務員にも顔を覚えて貰える様になって『又、坊主が来ている』と、『熊本迄乗って行くか?』と声を掛け戴きました。

 

この頃、可愛がって戴いた機関士さんとは、今年も年賀状の挨拶をしています。
成人になって、お会いした時は、
『入江君の葉書きは、今も大切に保管しているョ』と言われました。

 

幼少の頃、将来の夢は?との問いに、機関車の運転手になりたいと思う子は、必ず居たと思います。
決して報酬はよくないにしても、憧れの職業でした。

多様化する社会の中で、憧れの職業に鉄道が選ばれるのは、鉄道にとっても、そこで働く人にとっても、良いですね。

 

の頃の乗務員さんは、とても温かくて、そのご厚情は一生忘れません。
今、蒸気機関車保存維持のお手伝いは、この時の恩返しと思っています。

 

こういう体験を声掛けして戴いた国鉄マンへの感謝の思いを忘れずに、今度は我々が、子供達の夢を育む番ですね。

 

 

機関区へ写真を撮りに行っても、煙がモクモクと出る機会は余りありません。
のんびりとしたある日の事、職員さんが蒸気を出してあげると、排水弁を開けてサービスして貰いました。

 

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撮影は1973年、昭和48年、熊本機関区。入江さんが小学校4年生の時だそうです。

 

私もいろいろな経験があります。蒸気機関車の運転席に乗せてもらったこともありますし、特急の運転席に乗せてもらったこともあります。当時の国鉄の人たちって、皆さん小さな子供に対しては優しくて温かく接してくれましたね。

まあ、時代が時代でしたから、規則も緩かったということはもちろんですが、こういう優しくしてもらった思い出があるから、機関車少年たちは鉄道会社を憧れにしていて、大人になっても、忘れられないのではないかと思います。

 

今、鉄道会社で働いている人たちは、「ほかに仕事がないから仕方なくて鉄道会社で働いている。」という人はほとんどいないと思います。

やっぱり、鉄道で働くことが憧れで、輸送の現場に立っている人がほとんどではないでしょうか。

子供のころから、夢を持ち続け、一生懸命勉強をして鉄道会社に入って、今、毎日一生懸命働いている。

そういうことができたのは、皆さんが子どもの頃、「かっこいいなあ。」「僕も大きくなったら鉄道の運転士さんになりたい。」と思わせてくれた大人の人がいたはずなんです。

キビキビと仕事をする姿を子供たちが見て、「いいなあ。」「素敵だな。」と思ったということは、そう思わせてくれた大人たちがいて、大きなモチベーションを与えてくれたということなのです。

 

だったら、今、あこがれの職業に就くことができた人たちは、次の世代の子供たちにモチベーションを与えて、憧れを育てて、次の世代につないでいく必要があるのではないでしょうか。

 

別に、運転席に乗せてあげろと言っているわけではありません。

線路の脇で手を振っている子供がいたら、汽笛を鳴らして手を振りかえしてあげるだけで、大きなモチベーションになると思います。

 

私も、田んぼの中で向こうから走ってくる蒸気機関車に手を振ったら、汽笛をポーッと鳴らしてくれて、機関士さんが白い手袋の手を振ってくれた時の感動があるから、今でも、鉄道に貢献して、何とか鉄道を元気にしようと思っていますし、いすみ鉄道の運転士たちも、汽笛を鳴らしたり、駅で子供に帽子をかぶせてあげて記念写真を撮ったり、幼稚園の横を通るときは手を振っている子供たちに手を振って応えたりと、皆さんそういうことをやっています。

なぜなら、彼らは訓練費用を自己負担してまで運転士になりたかった人たちで、今、その夢をかなえたのですから、今度は次の世代の子供たちにモチベーションを与えることの大切さを誰よりも理解しているからだと思います。

 

そういう点で、いすみ鉄道は素晴らしい鉄道になったと思います。

厳しい規則はいろいろありますが、「できない理由を並べることはしない。どうしたらできるかを考えるのがプロだ。」という私の考え方を、みんなきちんと理解して実践しているプロ集団だからです。

 

もっとも、JRや大手の会社さんは、そういうことはやらなくてもよいと思います。

大手だから、ローカル線とは違うと思いますし、お得意のできない理由を並べて、余計なことをする必要はないという「守り」のポリシーを貫いてくれれば、私はそれでよいと思います。

なぜなら、JRや大手の会社がそういうことをやり始めたら、いすみ鉄道のようなローカル線が勝負するところがなくなってしまいますからね。

 

休みの日に、わざわざ遠くのローカル線に乗りに来てくれたことに対する、私たち職員ができる感謝の気持ちが、「素敵な思い出を持って帰ってもらう。」ということなのです。

 

全国のローカル線の職員の皆様、これからも地道にがんばりましょう。

 

入江さん、良いお話をお聞かせくださいましてありがとうございました。

 

保存の機関車をピカピカに磨く活動をされている入江さんの仲間の皆さんです。

かつての機関車少年たちが、今、実に尊い活動をされていらっしゃると思います。

 

それは、この方々が子どもだったころ、職業を通じて大きなモチベーションを与えてくれた大人たちがいたということなんですね。

 

皆さん、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

そして、もっともっと鉄道をおもしろくしていきましょう。

 

それが、かつての機関車少年たちの責任だと私は考えています。

 

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