循環急行の時代 その2

 2018.04.20 Friday 

昨日の循環急行のお話の続きです。

 

昭和44年7月に千倉まで電化開業した時に、千葉から蒸気機関車が消えました。

外房も総武も成田線も、まだ未電化区間があったのに、千倉電化で一気に蒸気機関車の活躍が終わったのは、東京近郊であったからだと思いますが、その千倉電化の直前、昭和44年(1969年)5月号の時刻表がありますので、ひも解いてみましょう。

 

 

今から30年以上前だと思いますが、交通公社が昭和の時刻表を復刻発売した時に手に入れたものですので、表紙はそれほど汚れていません。

 

 

房総西線と房総東線を通して走る列車がいくつもあるのがわかります。

新宿を6:45に出る急行「うち房1号」は館山に9:18に到着すると、館山からは普通列車になって安房鴨川に10:04着。

この列車はそのまま10:07発の急行「そと房3号」になって勝浦廻りで両国へ向かいます。

 

 

房総東線廻りの列車も同じように多くの列車が「そと房」でやってきて、安房鴨川で「うち房」に姿を変えて東京方面へ戻って行っています。

 

実は、非電化時代から房総の列車はぐるっと一回りしていたんですね。

それが、内房側だけ電化された昭和44年に、「うち房」が電車になって、「そと房」がディーゼルカーのままだったので、車両が異なりますから、ぐるりと回るのをやめたということなのです。

そして、昭和47年に外房も電化されると、循環急行が復活したのが昨日の「みさき」「なぎさ」だったのです。

 

考えてみれば、上記の「うち房1号」から「そと房3号」に列車の名前が変わる安房鴨川での停車時間は、この列車以外にもどの列車も数分程度。その間にヘッドマークをさっと取り替えていたと思われますが、「みさき」「なぎさ」と時計回り、反時計回りと列車名を統一しておけば、途中でヘッドマークを変える手間も省けますから、なかなか考えたネーミングだと今更ながらにそう思います。

 

 

結解学先生撮影の両国駅で発車を待つ急行「そと房」と「うち房」

この羽根つき台座のヘッドマークであれば、文字板を差し替えるだけで変身できますから、なかなか便利だったと思いますが、いすみ鉄道の「雨の日スペシャル」も、そうやって折り返しのわずかな時間に変身しているということです。

 

 

さて、この当時の時刻表で気になるのがこの「8」という記号。

房総東線も房総西線も上り列車に書かれています。

座席の絵は指定席を示していますが、1・2というのもこの時ならでは。

グリーン車、普通車になる前の1等車、2等車時代ですが、「8」というのは指定席が「8日前発売」ということを示しています。

この時代、国鉄の指定席は「7日前」発売でしたが、上り列車が「8日前発売」ということは、房総方面へ来るお客様というのは1泊する人が多かったということで、行きの切符と帰りの切符を一度に買えるようにするという国鉄の配慮だったことがわかります。

急行列車の末端区間の普通列車扱いといい、当時の国鉄はなかなかサービスに努力していたということだと私は考えます。

 


 

さて、この昭和44年5月号の時刻表で私が一番好きなのがこの列車です。

両国発勝浦行の221列車。

C57やC58がけん引する両国発の列車が、館山、勝浦、銚子と各方面に夕方出ていました。

 

 

この125列車は館山行。

3時間40分走る蒸気機関車牽引列車です。

 

夕方の下総中山を通過する館山行125列車。  撮影:山路善勝氏

 

夕方都会から千葉県各地へ、朝、千葉県各地から都会へと、田舎の人々を運ぶ列車でした。

 

このように夕方に両国から各地へ走った列車は、そこで駐泊して、翌日の一番列車となって両国へ戻って行きました。

 

 

221列車として前夜勝浦に到着した機関車と客車は、勝浦で一晩を明かすと、翌早朝の222列車となって3:58に勝浦を発車して両国へ戻って行きます。

このような蒸気機関車が引く列車が昭和44年7月の千倉電化まで、東京の両国へ乗り入れていたということです。

 

なんだかすごい時代でしたね。

 

もちろん私も房総の蒸気機関車が引く列車には何度も乗りましたし、はっきりと記憶していますが、今、改めて時刻表を見ると、「そういうことだったのか。」と思いますね。

 

例えばこの222列車ですが、永田発が5:07、次の大網発が5:25で、18分かかっています。

でも、その後のディーゼルカーの列車はだいたい9〜10分で走っています。

その理由は、当時の大網駅はスイッチバック形状になっていて、列車は折り返し運転をしていました。

永田ー大網間の所要時間は上の下り列車の時刻表を見れば4分程度だということがわかりますから、発発時刻で9〜10分ということは、ディーゼルカーの列車は大網で約5分停車して折り返していたことがわかりますが、蒸気機関車がけん引する222列車は大網で機関車を切り離し、ターンテーブルで方向転換して列車の反対側に付け替える作業が必要ですから、10分以上停車していたことが、この時刻表から読み解くことができます。

 

そして、大網を出た列車は、次の土気に向かって千葉県内最大の難所の上り勾配へ挑んでいたのですが、ここはディーゼルカーにとっても難所でしたから、一駅で10分かかっていましたね。電車になった今では、線路の付け替えがあったとはいえ4〜5分で走っていますから、ずいぶん時間がかかっていたことがわかるのです。

 

で、この同じ時刻表でもう一つ注目するのがここ。

 

 

わかりますか?

 

木原線からやってきた列車が大原で安房鴨川からの列車と併結して千葉まで行っていました。

そういう列車が朝2本あるんです。

上の221列車が出ている房総東線の下り時刻表にもよく見ると安房鴨川行の列車が大原で分割されて木原線に入っていくのが2本あります。

朝の2本の上り、夜の2本の下りということは、国吉や大多喜の人たちが通勤や通学に使っていた列車だったということですね。

車社会になる前のいすみ鉄道沿線の皆さんは、この列車で学校や職場へ通っていたということなのです。

 

つまり、それだけ地域に密着していたということが、時刻表を見ただけでわかるのです。

 

これが昭和44年の房総半島の鉄道なのでありますが、実はこの前年の昭和43年に国鉄諮問委員会が国会に提出した「役割を終わった国鉄路線」の中に、木原線の名前が既にあげられていたというのも、まぎれもない事実なのであります。

 

昭和43年、木原線国吉駅  撮影:石田俊幸氏

 

時刻表って楽しいでしょう。

たんに列車の時刻を調べるだけじゃなくて、ここまで読み解くから読書であり、文学書なのであります。

 

本日も千葉の鉄道基礎知識のお時間でした。

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